ピクシブ百科事典

井筒和幸

いづつかずゆき

井筒和幸は、日本の映画監督、タレント。
目次[非表示]

概要

ピンク映画でデビューした後、一般映画に進出した。一般進出作『ガキ帝国』の成功により、吉本興業芸人が役者として起用される機会がたびたびある。
後述の理由でテレビ番組などメディアへの露出が多く、タレントとしても活動するほか、辛口評論やご意見番としての経歴も長いため、映画は観たことないが監督は知っているという人も少なくない。歯に衣着せず暴言も辞さないため発言が物議を醸すこともあるが、昔ながらの頑固親父といった立ち位置は変わることがない。
あだ名芸で知られる有吉弘行は、井筒に「ミナミのバーホーベン」というあだ名をつけている。

来歴

1952年12月13日生まれ。奈良県出身。
1975年、ピンク映画『行く行くマイトガイ 性春の悶々』でデビュー。初期は「井筒和生」名義だったが、1981年の『色情女狩り』から「井筒和幸」となる。
同年、島田紳助らを主演に『ガキ帝国』で一般映画デビューを果たす。
1983年、あだち充漫画みゆき』を映画化する仕事を引き受けるが、原作が井筒にとって心底興味の持てないものだったらしく、制作期間中にストレスで状態に陥り、抗欝剤を服用しながら映画を完成させた。
1991年、『東方見聞録』の撮影中にエキストラの死亡事故が起きる。これにより業務上過失致死罪で遺族から告訴され、裁判では井筒側が敗訴。3000万円以上の補償金を支払ううえで友人に借金をし、返済のためにテレビタレントとしての仕事が増える。『東方見聞録』は完成したものの、上映は中止され、ビデオ販売のみとなった。
1996年、『岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS』でブルーリボン賞作品賞を受賞。
2005年、『パッチギ!』で二度目のブルーリボン賞ほか、数多くの映画賞を受賞。

作品

『行く行くマイトガイ 性春の悶々』1975年
『熱くて深い交わり 肉色の海』1978年
『暴行魔真珠責め』1979年
『足の裏から冥王まで』1979年
『僕と隠岐島号』1979年
『女教師 覗かれた暴行現場』1980年
『色情女狩り』1981年
『ガキ帝国』1981年
『ガキ帝国 悪たれ戦争』1981年
『赤い復讐 暴姦』1982年
みゆき』1983年
『晴れ、ときどき殺人』1984年
『(金)(ビ)の金魂巻』1985年
『二代目はクリスチャン』1985年
『犬死にせしもの』1986年
『危ない話 夢幻物語』第一話「ツタンカーメン王の呪い」1989年
『宇宙の法則』1990年
『東方見聞録』1993年 - ビデオスルー
『日本一の悪女? 雅美のパワーオブラブ』1993年
『罪と罰 ドタマかちわったろかの巻』1994年
『突然炎のごとく』1994年
岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS』1996年
『さすらいのトラブルバスター』1996年
のど自慢』1999年
『ビッグ・ショー! ハワイに唄えば』1999年
『ゲロッパ! GET UP!』2003年
パッチギ!』2005年
『パッチギ! LOVE&PEACE』2007年
『TO THE FUTURE』2008年
ヒーローショー(映画)』2010年
黄金を抱いて翔べ』2012年

関連タグ

映画監督 / タレント
吉本興業

外部リンク

井筒和幸 - Wikipadia

pixivに投稿された作品 pixivで「井筒和幸」のイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 59

コメント