曖昧さ回避
名前は何れもアンドリュー・ハル・フット(フート)海軍少将に由来する。
フート級魚雷艇「フート」
アメリカ海軍のフート級魚雷艇の1番艇(TB-3)。
1896年10月1日進水、1897年8月7日就役。
第一次世界大戦ではアメリカ本土東海岸のパトロールに当たった。
1918年8月1日、沿岸魚雷艇1号(CTB-1)と改称。
1919年3月28日、退役。
1920年7月19日、売却された。
ウィックス級駆逐艦「フート」
アメリカ海軍のウィックス級駆逐艦の95番艦(DD-169)。
1918年12月21日進水、1919年3月29日就役。
1919年9月、アドリア海に配備。
1920年2月12日、帰国して修理を受ける。予備役となる。
1921年、チャールストンに配備され、沿岸のパトロールに当たる。
1940年9月23日、退役。イギリス海軍に移籍して「ロックスボロー」と改名。ウェスタンアプローチ(グレートブリテン島、アイルランド島の西方海域)で対潜哨戒に当たる。
1942年3月、ハリファックス(カナダ)に配備され対潜迫撃砲ヘッジホッグを装備。船団護衛中に悪天候により艦橋が破損して11人が死亡、生き残った先任士官が操舵し、ニューファンドランドへ戻る。
1944年8月1日、ソ連海軍に譲渡され、「ジョストキー」と改名。
1949年2月7日、イギリス海軍に返還される。
5月14日、解体された。
ウィックス級駆逐艦「フート」
アメリカ海軍のフレッチャー級駆逐艦の40番艦(DD-511)。
1942年10月11日進水、1942年12月22日就役。
1943年4月1日、カサブランカ(モロッコ)への船団を護衛。
6月28日、ニューカレドニア島に到着。船団護衛に当たる。
9月27日、コロンバンガラ島から撤退する日本海軍の大発を狩る。
10月1日、ベララベラ島に進出。
11月2日未明、第39任務部隊に加わりエンプレス・オーガスタ湾での揚陸を支援中、日本海軍の襲撃を受ける(ブーゲンビル島沖海戦)。日本海軍駆逐艦が第12巡洋艦群を狙って外した魚雷が「フート」の艦尾に命中して航行不能となる。両軍とも混乱続きで、衝突や誤射が相次いだ。
第39任務部隊は「フート」の護衛に一部の艦を残し、ツラギ島に帰投。夜が明けると日本軍の空襲があり、「フート」も対空戦闘を行った。
11月4日、牽引されてツラギ島に帰投。
1944年3月4日、ロサンゼルス港へ到着し、ルーズベルト基地で修理を受ける。
12月19日、ミンドロ島への船団を護衛。船団は何度か神風特攻隊の攻撃を受ける。
1945年6月、沖縄周辺を哨戒。
10月17日、ニューヨーク港に到着。
1946年4月18日、退役。
1974年1月2日、スクラップとして売却された。