概要
大日本帝国陸軍の軍人で、民族的には朝鮮人でありながら、日本軍の将軍にまで上り詰めた人物である。最終階級は中将。
彼は生涯、創氏改名による日本人名を使うことなく、朝鮮人として本名を名乗っており、それでいて日本軍の幹部にまで昇進していることから、彼の存在そのものが戦後に宣伝されている「創氏改名の強制」が嘘である証拠としてもよく取り上げられる。
非常に高潔な人物として知られ、敗戦後にフィリピンのマニラで行われた、アメリカ軍による一方的な断罪裁判である『マニラ軍事裁判』において、洪は弁解や証言をすることを潔くないとして、自身のことついては一切抗弁しなかった。
一方で、同じく戦犯とされた日本軍の同胞への罪に関しては、積極的に弁護を買って出ていたという。
しかし、彼は戦後の韓国において「民族の裏切り者」として扱われ、『親日罪』(正式名称:親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法、通称:反日法、韓:친일반민족행위자 재산의 국가귀속에 관한 특별법)によって『親日反民族行為者』と認定されて売国奴のレッテルを貼られ、彼の家族は迫害を受けて国を追われたという。