概要
毎年3月(または4月)にケニアを中心とした東アフリカで行われている。1953年に第1回大会が行われたという、長い歴史を持つ。
乾いた大地、しかも舗装のされてない道をただただ走るが故に砂埃が舞ってしまう、そんな状況下で戦わなければならない、ばかりか、雨が降ろうものなら道がやたらぬかるんでしまうため文字通り足を取られてしまうこともしばしば。おまけにコースになる道路を封鎖することが出来ないので競技に参加していない自動車や歩行者にも気を配らなければならない、と言う、様々な意味で壮絶で過酷なものである。ゆえに、「完走しただけでもたいしたもの」と呼ばれることがしばしばあった。
1973年に発足した世界ラリー選手権のプログラムとなり、モンテカルロラリー、ラリーGB(RACラリー)と共に世界3大ラリーと並び称されたものの、2002年度最後に世界ラリー選手権から外されてしまった。しかしこのラリーそのものは現在でも開催されてはいる。そして、2019年を目処に世界ラリー選手権のプログラムに復活させよう、と言う動きがあるそうである。
日本車斯く戦へり
先に述べた様に過酷な状況下ゆえに、耐久性を試す場として日本の自動車メーカーがしばしば参加していたので日本ではマイナースポーツとされるラリーにあって、ダカールラリーと共に知名度の高かったラリー競技会であった。
特に日産自動車の熱の入れようは相当なもので、1963年の初参加以来、幾度となく東アフリカの大地に喧嘩を売り、ライバルメーカー達に中指を立て続けた。
特に1970年度のものはすさまじく、ダッツン510による総合優勝ばかりかクラス優勝、ついでにチ-ム優勝まで成し遂げてしまった。
当然ながらライバルチームからのやっかみは相当のものであり、翌1971年度のコースはそれらの意向に沿ったかの様な高速ルートを採用したものだった、が、日産は「あっそ」とばかりにダッツン240Zをぶっ込み、何とまたしても総合優勝をやらかしたのだった。
その後1979年から1982年にかけて、2代目バイオレットが4連覇を果たしているが、いずれもウガンダ系ケニア人のシェーカー・メッタ(1945-2006)によってもたらされた物である。ちなみにこの4台のバイオレット、現在でも神奈川県横須賀市にある、日産の工場のどこかに保存されている。
また、トヨタもまたサファリラリーに片足を突っ込んだメーカーであり、3代目セリカが1984年から1986年にかけて、5代目セリカが1992年から1995年にかけて連覇を果たしたほか、4代目セリカも1990年に優勝している。
さらに三菱自動車もランサーで5度、スバルもインプレッサで3度、それぞれ優勝を果たしている。
だが、スバルはナニを血迷ったのか軽四で殴り込みをかけたことがあったし、ダイハツもリッターカーをぶっ込んでしまったことがあった。しかもどちらも完走してしまったと言うから恐ろしい。