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柴田勝家の編集履歴

2011-05-22 03:32:45 バージョン

柴田勝家

柴田勝家とは室町後期から安土桃山時代に生きた戦国武将である。


概要


出自は不明、柴田勝義の子と言われるがはっきりしない。

はじめ織田信秀、ついで織田信勝織田信長の臣となる。

若年の頃から織田信秀に仕え重用された。信秀が死去すると、信秀の子で、信長の弟にあたる

織田信勝の家老となり、同じく織田家跡継ぎであった織田信長と対立する。

しかし織田信長との合戦に敗れた後は信長に仕え、

織田信勝を自刃に追い込み跡目争いを収束させる。

この時織田信勝の遺児津田信澄の養育を信長から任された。


その後は信長のもと美濃攻め、浅井長政攻め、長篠の戦いといった

織田家の主要な戦いのほとんどに参加し手柄を立て、信長から

北陸征伐の軍の指揮を一任されるまでになった。


本能寺の変の際は上杉景勝の反撃にあい京都に向かうことができず、

やがて中国から引き返してきた羽柴秀吉明智光秀を討つと、

織田信長亡き後の織田家の方針を巡って羽柴秀吉と対立。

信長の三男織田信孝を擁立して羽柴秀吉らと戦うも、

味方の足並みが揃わないまま徐々に勢力を減らされ、与力(同僚)の

前田利家金森長近らの裏切りによって、

賤ヶ岳合戦に敗北。居城北ノ庄城に戻り、信長の三人の姪達(のちの淀殿、常高院、お江の方)を

秀吉のもとへ送り届けた上で自害した。なおこの時再婚していた信長の妹お市も一緒に自害している。



瓶割り柴田の異名を取った猛将である一方で、秀吉に先んじて刀狩りを行うなど

為政者としても有能であったとされる。一方で裏切った前田利家に対して

羽柴秀吉とは親友であるから必ず下るように」と諭し、数年来の骨折りに感謝するなど、

戦国武将としては人に対して多少寛容すぎる側面を持っていたようである。

また当の秀吉に対しても、合戦中に救援を出したりと

清州会議までの関係はそれほど悪いものではなかったと言われている。


登場作品


信長の野望


戦闘に関するパラメーターは高い。

しかし政治や知略の評価はいまひとつである。


戦国無双

柴田勝家

CV竹本英史

武器:2本の大斧


初出は『戦国無双2』。この時点ではNPCであり、プレイヤーが操作できないものの

モーションは既存の無双武将の融合したオリジナルのものを与えられていた。

『2猛将伝』ではプレイアブルキャラクターに昇格し、前田利家に戦国のなんたるかを教えつつ、

それを見守っていくというシナリオが展開された。

『3』になって模擬演武専用武将となったのち、

『3猛将伝』及び『3Z』において、ようやく無双演武が追加された。



決戦Ⅲ

CV立木文彦


一本気で義理堅い猛将という設定。

最初は信長のことを「うつけを装う真のうつけ」と軽蔑していたが、

やがて信長の器を知りその家臣として活躍する。

この作品の勝家と秀吉のやりとりは他の作品とは違い結構おだやか・・・な方。


戦国ランス

戦国とはパラレルな関係にある鬼畜王ランスでも登場、どちらにも織田家の武将である。どちらの勝家もロリコン趣味である。戦国~では同僚の乱丸に惚れられているが、彼からすれば対象外だが、乱丸は戦災孤児の幼女を養子にすることで、結婚することに成功する。ちなみに合法ロリも対象外という筋金入りである。


戦力としては攻撃より防御面に秀でた足軽部隊として重宝するなど、見た目や言動は猛将だが、一般的な勝家のイメージとはまるで違うと言って良い。




そのほか、織田家重臣という立場の関係上、織田家や戦国時代を取り扱う大河ドラマなど

時代劇にも数多く出演している。

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