概要
生誕 | 天暦4年(950年)? |
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死没 | 治安2年(1022年)? |
主君 | 源頼光 |
源頼光に仕え、渡辺綱を筆頭とする頼光四天王の一人と称されている。
大江山酒呑童子退治でも有名。
史実
本名は坂上季猛(さかのうえのすえたけ)。
浦辺季猛、浦辺坂上季猛、浦辺太郎坂上季猛とも。
坂上田村麻呂から数えて七代孫の坂上頼次が坂上党武家団の頭梁として源満仲より摂津国山本荘を任され、初代山本荘司として清和源氏の本拠地である多田院の警衛に勤めた。
頼次は同じく坂上氏の坂上季長・季猛親子を山本荘に呼び寄せて、清和源氏の家臣団に弓馬など武術の指導をさせた。
浦辺城主であったことから浦辺坂上季長・季猛を名乗っている。
季猛は坂上党武家団の棟梁を継ぐと、三代目山本荘司として源頼光に仕えた。
三代目山本荘司となった季猛は、田村麻呂の遺品の御持弓を御神体として将軍宮松尾丸社を創建している。
説話
『今昔物語』には、卜部季武として源頼光の3人の家来の1人として記されている。
季武は弓の名手として知られており、鹿島流武芸を身に付けていたともされる。
神楽「土蜘蛛」「子持山姥」「滝夜叉姫」に登場することでも有名。