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メジロアシガラ

めじろあしがら

メジロアシガラとは日本の競走馬、功労馬(1972~2003?)主に障害競走で活躍した競走馬であり、単純に成績だけを見るとそれ以上でも以下でもない競走馬であるが、結果的に日本競馬界に多大な貢献を果たした障害競走馬で、「メジロの救世主」と称される。
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概要編集

プロフィール編集

馬名メジロアシガラ
生年月日1972年4月7日
性別
インディアナ
メジロイズミ
母の父ワラビー
管理調教師大久保末吉
馬主メジロ商事株式会社

メジロアシガラの父インディアナは英国セントレジャーステークスを優勝し、日本に輸入された競走馬で、ダービー馬タケホープの父として知られている。

46戦10勝という比較的頑丈な障害競走で活躍した障害競走OP馬、というのが成績だけを見た場合のメジロアシガラの評価であるが、当時のメジロ牧場の経営状況や、その後の日本競馬史を俯瞰した場合、このメジロアシガラが存在しなければ日本競馬の歴史が大きく変わっていた可能性すらある。どれほどの影響があったかといえば、もしメジロアシガラが存在しなかった場合、


牡馬三冠馬1頭

牝馬三冠馬1頭

顕彰馬3頭


確実に歴史から消えているというレベルである。


経歴編集


平凡な平地競争時代編集

1972年に誕生したメジロアシガラは1974年にメジロ商事の競走馬としてデビューするも、デビュー年に勝ち星を挙げることはなく、1975年と1976年にそれぞれ1勝を挙げている。最終的な平地記録は26戦2勝とあまりにも平凡、というより当時であっても引退、処分されてもおかしくはない成績であった。これは父、母父ともにステイヤー型の血統であったためにスタミナは充分であったがスピードを確保することができなかったため、という説がある。ただそのようなこともあって1976年の途中から障害競走に転向。結局勝利することはできなかったのだが複勝圏内には飛び込んでくれたため、そのまま翌年も現役続行となる。そしてこれが、メジロアシガラの運命を大きく変えることとなった。


メジロ牧場経営危機編集

メジロアシガラの運命を大きく変えることとなったのは1977年8月7日に発生した有珠山噴火であった。当時、メジロ牧場は事業拡大のため洞爺湖に支部を建設しており、この支部建設のために巨額の資金を投じていた。この洞爺湖支部が有珠山の噴火によって壊滅的な打撃を被ってしまったことに加え、当時のメジロ牧場には競馬を走って稼げるような馬が軒並み引退してしまっていたこともあり、深刻な資金難に陥ってしまったのである。

資金を稼ぐ手段を失い、機能しない牧場を抱え込んでしまったしまったメジロ牧場の関係者は頭を抱えることとなる。当時の北野オーナーですらメジロ牧場の解体すら検討せざるを得なかった。そんな状態に陥った。今走っている競走馬の中で突然覚醒し、多額の賞金を稼ぎだしてくれるような馬が現れない限り、そうなるはずであった。


メジロアシガラ、奮戦す編集

1977年シーズン。メジロアシガラは有珠山噴火前まで10戦3勝という成績で障害競走を走っていた。今の基準からするとあまりにも走りすぎと思われるだろうが、それでも自身が生き残るためには走るしかなかったのである。そしてメジロアシガラは、有珠山噴火によるメジロ牧場危機に直面することとなる。

勿論メジロアシガラ自身は、自分の所属する牧場が経営危機に陥っていることなど知りもしない。だが、それまで平凡であったはずの馬は突如として覚醒する。有珠山噴火以降だけでも8戦を走り5勝を挙げ、最終的に18戦8勝、獲得賞金9700万円以上の金額を稼いでメジロ牧場に捧げたのである。現代の金額に換算するとおよそ2億以上を僅か1年で稼いだこととなる。その勝利の中には、障害王者バローネターフ(中山大障害5勝を挙げた名馬)に勝利するという大金星を挙げたものまであった。

この当時としては膨大な賞金をメジロアシガラより受け取ったメジロ牧場は経営を再建していく。そしてメジロアシガラ自身は最後の最後まで走りぬき、同年12月3日のレースで3着入選しこれにて引退。最後の最後まで、彼はメジロのために賞金を稼ぎ、その全てをメジロに捧げた戦いに幕を下ろしたのである。


引退後、その余生編集

最終成績は46戦10勝。障害競走を中心に走っていたこともあり、加えて重賞を勝つこともなかったため種牡馬となることはなかったメジロアシガラ。通常、このような成績の競走馬は乗馬に転向されるか、そのまま処分され、消え去ってしまうのが常であった。これは21世紀にはいってもほとんど変わらない。まして当時のメジロ牧場は経営難をどうにか凌いだとはいえ、資金繰りはなおも厳しい状態であったことは間違いない。

だが、メジロ牧場はこの馬に、牧場で生まれてきた仔馬たちの面倒を見る、いわゆるリードホースの役割を与えることとなる。メジロ牧場は自分たちを救ってくれたこのOP馬を手放そうとはしなかった。最終的にはオーシアンファームという養老牧場に引き取られていくことになるのだが、この牧場にはメジロ牧場の功労馬も多く引き取られており、その功労馬たちは錚々たる顔ぶれであった。養老牧場に預けられていた馬の中にはメジロボサツやメジロサンマン、そしてメジロラモーヌまで含まれている。

つまり、メジロアシガラは史上初の三冠牝馬や、メジロ牧場の代表馬たちの母に並ぶ価値があるとみなされていたのである。こうしてメジロアシガラは当地で悠悠自適の生活を謳歌した。確認できる範囲の記録では2002年まで存命であったが翌年には記録が残っておらず、この頃に亡くなったと思われる。そしてオーシアンファームも解体された際に記録が散逸した、或いは消失したため、メジロアシガラの詳細な記録は残っていない。


メジロの救世主がもたらしたもの編集

こうしてメジロアシガラの物語は終わった。だがこの馬が遺したものはあまりにも大きかったといえる。メジロ牧場は再建を果たしたことでメジロアサマ産駒メジロティターンによる天皇賞制覇を達成。これはのちにメジロマックイーンによる3代天皇賞制覇達成という偉業をもたらすこととなる。さらにはメジロラモーヌによる牝馬三冠達成。そして後に母父メジロマックイーンによるステマ配合から生まれたドリームジャーニー、オルフェーヴル、ゴールドシップの出現。さらにはメジロモントレーが系譜をつなぎ、モーリス誕生に接続する。

もしメジロアシガラが走らなければ、メジロ牧場は解散していたかもしれない。そうなればメジロマックイーンもメジロラモーヌも誕生しなかったであろう。そしてオルフェーヴルが誕生せず、つまりはマルシュロレーヌやウシュバテソーロも存在しなくなり、日本ダート界が世界に羽ばたくことはなかったかもしれない。

メジロアシガラの血は遺されず、その亡骸の行方すらわかっていない。だが彼が命を懸けて守り抜いたメジロの物語は、これからも日本競馬界に強く残り続けていくことだろう。


関連タグ編集


メジロ牧場 障害競走

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