バリツ
ばりつ
原点
アーサー・コナン・ドイルは困惑していた。
「ここにきて続編かよ……空気嫁……」
ここしばらく耳に否応なしに飛び込んでくる、彼の作品のファンたちの声。皮肉にもこの声援こそが、彼の頭脳をきりきりと締め付ける。
"宿敵ジェームズ・モリアーティとの格闘の末に滝壷に転落し、そのまま行方知れずに"……こんな衝撃的な結末によって一度幕を閉じたはずだった、シャーロック・ホームズの物語。ここで彼の活躍絵巻にはケリをつけ、次なる創作に向けた思索にふけりたいと心底思っていただけに、この--うっすらと予想していた状況とはいえ--ファンのラブコールに、ドイルは恨み言のひとつでも投げかえしてやりたいくらいであった。
「もう少しだけ続くんじゃ……か。 フン、笑えん」
本格的にホームズの物語を再開させるとなると、かつて書いた『バスカヴィル家の犬』のようなホームズ死亡前の時系列だけで進めるわけにはいかない。ホームズは死んでいなかった……そんなことが可能なのか。滝壷に身を投じたホームズを救い出すだけの、奇想天外な、そう、あまりに無理のあるトリックを、どのように仕組んでやるか。ここにきてドイルの頭脳は、既に"作家、コナン・ドイル"として、あらたな作品の構想を練り上げる為に回転し始めていた。
古びた紙とインクの香りが幽かに立ち込める彼の書斎には、今日も乾いた靴の音が、響き渡る。
バリツとは
アーサー・コナン・ドイルの探偵小説『最後の事件』において滝に転落して死亡したとされていたシャーロック・ホームズを、ファンの要望に応え執筆することとなった(実際には上記の通り、間で『バスカヴィル家の犬』を執筆しているが、これはホームズ死亡前の話だった)続篇『空き家の冒険』において再登場させる根拠となったのが、架空の日本式の格闘技、"バリツ"である。格闘技の心得があったことにより、ホームズは宿敵モリアーティ教授を滝に投げ落としたのだ、と作中で説明された。
このバリツ登場の背景には、19世紀の西欧に極東方面の文化が本格的に流入してきた時期であることも関連している。
つまり日本の武道や中国拳法など、アジア圏からの聞き慣れない、そして西欧の人々には理解しがたい不可思議な事象は、それだけで“魔法”に通じるものであったのだ。
「ノックスの十戒」第五条に「中国人(≒不可思議な術を使う人物)を登場させてはいけない」とあるのは、当時まだまだアジア圏への理解が浅く、彼らの伝承する技能を“魔術の縁類”と見なしていた当時の共通認識に由来する。
pixivのタグとしては、テレビアニメ『探偵オペラミルキィホームズ』に関連するイラストに付けられていることが殆どである。これは本作第4話でシャーロック・シェリンフォードがこれみよがしに使って見せたシーンが元ネタとなっている。第4話は何かと神がかっていた。