概要
1543年、土佐4代目国司・一条房基の子として誕生。
しかし6年後の1549年、突如父の房基が錯乱した上に死亡してしまった為、7歳で後を継ぐ。
家督継承当初は祖父の一条房冬の弟の房通が後見したが、1556年に房通が死去すると元服し兼定と名乗る。
1558年には伊予宇都宮家当主・宇都宮豊綱の娘と婚約するが、6年後に大友義鎮の次女と婚約して大友家と同盟する。
3年後には河野通宣と毛利元就の連合軍を宇都宮豊綱と連合して戦うが、敗北。
その2年後には妹婿の安芸国虎と組んで長宗我部元親に挑むが、間もなくして国虎は元親に敗れて敗死。
この事がきっかけとなったのか次第に酒に溺れる毎日を送り、更には諫言した土居宗珊を始末してしまう(しかしこの処刑理由は長曾我部側に立って書かれた土佐物語が原典であり、四国軍記では元親との内通を疑われたため殺されたとされる)。
1573年、長宗我部元親に付いた嫡男・内政(ただまさ)によって豊後に追放された。
2年後の1575年には旧領回復を図り、大友軍と連合して四万十川で長宗我部軍と戦うが、長宗我部軍は7500だったのに対し、自身は何と4000の差で3500と少なく大敗。
結局、旧領回復はならずここに戦国大名の一条家は滅亡した。
旧領回復が回復出来なかった兼定は失意のうちに1585年に43歳で死去した。
ちなみに四万十川の同年には、義父同様キリスト教へ入信している。
創作
信長の野望
目を覆わんばかりの低い能力値、層が薄いにも程がある家臣団(土居宗珊を除く)、そして立地は強力な大名である長宗我部の隣国という絶望ぶりから、かえってカルト的な人気を誇る。
再評価の傾向が出てきた今川氏真に変わり、ネタキャラの枠を確固たるものにしつつある。
最新作の創造まではワースト1のままだったが、創造PKにて彼を下回る能力の持ち主である阿部正豊が登場したのでワースト2となった。
戦国無双
武器:槍(4-Ⅱまで?) 刀剣(4Emp) 声:福原耕平(2) 岡本寛志(3) 宮坂俊蔵(4)
「長宗我部の力、ここまでとは…!もはや、土佐には帰れんのか…」(4:四万十川の戦いより)
「あの女にそそのかされて兵を挙げたが、やはり無謀であったか…無念ぞよ…」(同:撃破時台詞)
「高貴な一条家の出の兼定が、何故直接戦わねばならんのだ…」(4Emp特殊台詞)
「名門の長として…これ以上、長宗我部の台頭を許すわけにはいかん! 一条家に恩のある者は集え!力を結集し、元親を滅ぼすのだ!」(4Emp:四万十川の戦い開始直前台詞)
「一条家は、名門中の名門!ぼっと出の長宗我部には負けぬわ!」(同上:総大将登場台詞)
Empの頃から最弱武将の1人であり、2では公家ボイスモブの1人であった。4で公家デザインの特殊モブとして登場。小少将に唆されて長宗我部元親と四万十川で対戦するが、敗れて大友家を頼った。
4Empでは固有のデザインで登場し、信長の野望シリーズと同じく土佐一国の大名として初登場となり前作には無かった特殊セリフまで追加された。(前2作では土佐にて牢人状態)
殿といっしょ
常にオカマ口調で話す軟弱な男で、オカマキャラがカブっている元親を勝手にライバル視している。
容貌は勿論能力も(美貌と仁徳以外十人並みの)元親に大きく水を開けられており、部下からの人望は全く無く、敵襲と同時に盾にされる始末である。
案の定長宗我部軍にボコボコにやられて落魄し、義父である大友宗麟(及び部下一同)からも電光石火で見捨てられてしまうが、元親のヘタレぶり(及び一両具足&元親末弟香宗我部親泰のヘンタイぶり)に愛想をつかした元親次弟・吉良親貞により反乱軍の神輿に担ぎ上げられる。
しかし実際は……?
以上、褒めるべき点が何もない暗君そのもののように見られがちな人物であるが、これはこの人物像が作られた際に依拠していた史料が、かつて敵対していた側、長曾我部勢の手によるものという点を忘れてはならない。長曾我部のプロパガンダにこの現代になってまで付き合う必要はない。
なぜか付き合ってしまったのがコーエーの信長の野望の中の人たちなのだが…
何より、高知県中村市(現在はなぜか四万十市という名前)にある一條神社にはこの兼定も祀られているのである。本当に目も当てられぬほどの暗君であったならば、神社に祀られることもなかったであろう。