ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
編集内容:()を追加しました。

没年

1937年(昭和12年)1月4日

経歴

山城国京都徳大寺実則の長男として生まれる。1885年(明治18年)外務省御用掛となり、さらに明宮(大正天皇)勤務となった。1887年(明治20年)イギリスに留学。父歿後、1919年(大正8年)6月30日に公爵の爵位を襲爵し、貴族院公爵議員に就任。火曜会に属して活動し、死去するまで在任した。1937年(昭和12年)1月4日死去。75歳。

家族、親族

系譜

父:徳大寺実則公爵

母:山内嘉年子(山内豊資の娘)

妻:松平久子(松平典則の娘)

子:徳大寺実厚(公爵、平安神宮宮司

弟:高千穂宣麿徳大寺則麿(分家、男爵)、徳大寺彬麿(建築家)。

妹:徳大寺順子・公爵鷹司熙通夫人、徳大寺祚子・侯爵佐竹義生夫人、徳大寺蓁子・三井高従(三井室町家)夫人、徳大寺治子・子爵松平頼孝夫人、徳大寺伊楚子・公爵島津忠重夫人。

叔父:西園寺公望末弘威麿住友友純

関連記事

編集内容:()を追加しました。