関東内乱を制す
1523年、上杉憲房の嫡男して誕生。この頃の山内上杉家は父・憲房が当時新興勢力として台頭する北条家と争っていた時期でもあった。
1526年、父が59歳で死去するとまだ3歳であったために家督継承が出来ず、足利晴直が上杉憲寛と名乗って関東管領の座に就いた。しかし間もなくして家中にて白井長尾家当主・景誠が配下に暗殺されたり、憲寛は配下の安中氏を攻撃するなど騒乱が巻き起ころうとしていた。
同時期に足利家でも当主・高基と晴直の兄で嫡男・晴氏と対立もあり、高基方と晴氏方の争いが勃発。憲政は晴氏方に属して上杉家を継ごうと画策。
1531年に憲寛が敗れて退去すると、無事に山内上杉家第15代目当主の座に就任。勢力回復のために打倒北条家を目指そうとしていた…
1541年に村上義清・諏訪頼重・武田信虎の連合軍に敗れた海野棟綱が憲政の元へ頼ると憲政は家臣の長野業正に命じて失地回復を図らせるが失敗に終わる。しかし、この一方で諏訪頼重が上杉と独断で和睦した。
河越夜戦大敗・上野国退去
憲政は台頭著しい北条家を危惧していた。そこで同じく北条家の攻撃で滅亡寸前まで追いやられていた扇谷上杉家当主・上杉朝定や関東の諸大名(なお千葉氏のみ加勢せず)と結んで1545年に河越城を包囲。しかし翌年に北条氏康の奇襲を受けて大敗を喫し、平井城へ退却した。
翌年には小田井原の戦いで敗北した事をきっかけに、長年上杉家に属してきた家臣団は北条方へ寝返っていき、最終的には上野国を残す事となった。そして1551年(もしくは1552年)には上野国の勢力も同じく北条家に寝返ったために平井城は落城。
憲政は常陸の佐竹家を頼って当主・佐竹義昭に関東管領の座を譲ろうとするが、義昭は佐竹家の誇りからそれを拒否。憲政は家臣の助言の元、越後の長尾景虎を頼った。
関東管領譲渡と最期
1560年後期に景虎の元に里見義堯の要請が入ると、憲政は景虎に奉じられて関東へ進攻した。憲政の帰還によって沼田氏や白井長尾氏・総社長尾氏も味方に付き、独立勢力として守っていた長野業正もこれに参戦した。(ただし金井氏や赤井氏などは反抗したために後に謙信の手で滅ぼされている)
1561年に景虎に関東管領の座と上杉の名跡、そして自身の1字を与えて上杉政虎と名乗らせて山内上杉家の正式な後継者として継がせた後、憲政は光徹と号して引退した。ところが…
1578年、謙信が死去すると上杉家での跡目争いが勃発。憲政本人も当初は中立を保っていたが、上杉景虎が和平交渉のために頼まれたためにやむなく景虎方に属す。そして景虎の息子である道満丸を連れて息子・憲重と共に春日山城へ向かった。
しかしその途中で景勝の手の者に襲撃され、息子や道満丸共々殺されるのであった。享年56歳。散々敵対していた北条家の子に協力してしまうという、何とも皮肉な結末であった…
各メディアにおける上杉憲政
信長の野望シリーズ
戦国群雄伝より初登場。シリーズ初期はそこそこ使える程度の武将であったが、現在は教養などのステータスが廃止されたために最下位争いのステータスとなっている。しかし家臣には長野業正や上泉信綱などがいるのでクリアは難しくはない。とはいえ長野業正の寿命が長くはないので長尾家、武田家、北条家とどう向き合うかがポイントとなる。ただし一部の作品では河越夜戦のイベントもあり作品にもよるが選択肢によっては憲政自身が行方不明となり自動的に長野業正に当主を継ぐことになるので注意が必要だ。
戦国無双
武器:槍(3)刀剣(4) 声:山田真一(3) 宮坂俊蔵(4)
「お、おのれ北条…我らを謀りおったのか!」(3:河越夜戦)
「な…!謙信殿、城を取らぬのか?」(同:関東出兵)
「な、ならば…関東管領の職を、謙信殿に譲ろう。それで大義は立つはず。頼む、受けてくれ」(3Empries:関東管領就任)
「謙信公がいれば無敵!我らも勢いに乗って攻めようぞ!」(4:関東出兵)
「いかん、調子に乗りすぎた!やはり北条めは一筋縄ではいかんか…」(同上)
3から初登場。河越夜戦にて足利晴氏や上杉朝定と連合して北条家を倒そうとするが、氏康の策に嵌って倒される。その後に謙信に奉じられて再度関東を攻撃したが、謙信が城を取らずに退却するとそれに驚いていた。
3Empriesでは謙信が北条家を滅ぼすと武田や今川に攻められる恐れがあると考えて、謙信に統治して欲しいと悲嘆するが、大義無しという理由で一度は断られる。しかし関東管領の座を譲るという覚悟を見せた事で謙信がそれに応えたために安堵した。
4では猪突モブの見た目で声が知将モブという特殊な扱いで登場。4Empriesでは3には無かった創世演武があるため、山内上杉家を再現可能。