閑院宮典仁親王
かんいんのみやすけひとしんのう
閑院宮典仁親王とは江戸時代中期の皇族、閑院宮2代当主。光格天皇の父。
重要
父は閑院宮を創始した閑院宮直仁親王、母は閑院宮の女房、讃岐、異母弟には鷹司家の養子になった鷹司輔平がいる。東山天皇は祖父。典仁親王の名は江戸時代のもので明治になってから慶光天皇(きょうこうてんのう)または慶光院という。
プロフィール
経歴
朝廷では、1779年に後桃園天皇が男子を残さないままに崩御した為、典仁親王の第六皇子として生まれた師仁親王(兼仁親王)が急遽即位した(光格天皇)。光格天皇は、父である典仁親王の宮中での地位が大臣より低い事から、太上天皇の尊号を贈ろうとしたが、江戸幕府老中・松平定信などに反対され、贈る事はできなかった(尊号一件)。
1884年(明治17年)になり、明治天皇の高祖父にあたるという事で「慶光天皇」の諡号と「太上天皇」の尊号が贈られた(明治以後に「太上天皇」制度が廃止された関係で二重の手続を要した)。以後、閑院宮典仁親王ではなく、慶光天皇または慶光院と称される。ただし歴代天皇の代数には数えられない。