概要
「慶光天皇(けいこうてんのう)」とは、江戸時代中期の閑院宮家第二代当主・閑院宮典仁親王に贈られた追号であり、「歴代の天皇」に加えられてない皇族である。
光格天皇即位
安永8年11月8日(1779年12月15日)、第18代・後桃園天皇の崩御直前、天皇に子は欣子内親王しかおられなかったため、朝廷は閑院宮典仁親王の第六皇子・師仁親王を養子として即位(光格天皇、直後に兼仁と改名)、欣子内親王を皇后ととすることを定めた。
尊号事件(尊号一件)
天明8年(1788年)、父・閑院宮典仁親王よりも位が上になった光格天皇は、父に「太上天皇」号を贈ろうと考え、江戸幕府に意向を伝えたが、老中・松平定信をはじめとする幕閣は「皇位についてない人物に太上天皇位を送った例はない」として反対、寛政3年(1791年)、親王に尊号宣下を強行するなど、朝幕関係は悪化の一途をたどった。
朝幕関係の悪化を恐れた関白・鷹司輔平(典仁親王の実弟)は幕府と連絡を取りあって事態の収拾に動き、典仁親王に1000石を加増することで追号の撤回を後桜町上皇とともに説得、天皇を渋々納得させた。
この一件による幕府の反対は、幕末の尊王論に影響を与えたともされている。
「慶光天皇」号追贈
明治17年(1884年)、閑院宮典仁親王には明治天皇の直系の祖であることから「慶光天皇」の諡号と「太上天皇」の称号が贈られている。しかし、前述のとおり「慶光天皇」の名は現在に至るまで「歴代天皇」に加えられていない。