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閑院宮典仁親王の編集履歴

2018-12-02 20:10:24 バージョン

閑院宮典仁親王

かんいんのみやすけひとしんのう

閑院宮典仁親王とは江戸時代中期の皇族、閑院宮2代当主。光格天皇の父。

重要

父は閑院宮を創始した閑院宮直仁親王、母は閑院宮の女房、讃岐、異母弟には鷹司家の養子になった鷹司輔平がいる。第113代・東山天皇は祖父。典仁親王の名は江戸時代のもので明治になってから慶光天皇(きょうこうてんのう)または慶光院という。

プロフィール

続柄閑院宮直仁親王の第二皇子
身位親王
敬称殿下
出生享保18年2月17日(1733年4月1日
死去寛政6年7月6日(1794年8月1日
配偶者(妃)成子内親王、(女房)大中臣祐智女、(女房)りて、(女房)紫雲院、(女房)おさ、 (女房)大江磐代、(女房)加久、(女房)交野
子女致宮、俊宮、方宮、良宮、弥数宮、時宮、孝宮、祐宮、寛宮、精宮、鏗宮、建宮
父親閑院宮直仁親王
母親讃岐

経歴

朝廷では、1779年に後桃園天皇が男子を残さないままに崩御したため、典仁親王の第六皇子として生まれた師仁親王(兼仁親王)に天皇の第一皇女欣子内親王を娶わせ、養嗣子として急遽即位した(第119代・光格天皇)。光格天皇は、父である典仁親王の宮中での地位が大臣より低い事から、太上天皇の尊号を贈ろうとしたが、江戸幕府老中・松平定信などに反対され、贈る事はできなかった(尊号一件)。


1884年(明治17年)になり、明治天皇の高祖父にあたるという事で「慶光天皇」の諡号と「太上天皇」の尊号が贈られた(明治以後に「太上天皇」制度が廃止された関係で二重の手続を要した)。以後、閑院宮典仁親王ではなく、慶光天皇または慶光院と称される。ただし歴代天皇の代数には数えられない。

系譜

妃:成子内親王(第118代・後桃園天皇の第一皇女)

女房:大中臣祐智女

第一皇子:致宮 のちに美仁親王(第三代閑院宮)

女房:りて

第二皇子:俊宮 のちに守典親王、仁和寺宮 深仁入道親王

第三皇子:方宮 のちに保和親王、輪王寺宮 公璋入道親王

女房:紫雲院

第四皇子:良宮 のちに保業親王、輪王寺宮 公延入道親王

第一皇女:弥数宮

第二皇女:孝宮 のちに宗恭女王

女房:おさ

第五皇子:時宮 のちに周翰親王、妙法院宮 真仁法親王

女房:大江磐代(蓮上院)

第六皇子:致宮 のちに師仁親王、兼仁親王(光格天皇

第七皇子:寛宮 のちに嘉種親王、聖護院宮 盈仁法親王

第十皇子:建宮

女房:加久

第八皇子:精宮

女房:交野

第九皇子:鏗宮

従兄弟

桜町天皇

関連項目

朝廷 皇族 閑院宮 光格天皇 尊号一件 慶光天皇

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