概要
往年のヒーロー物・時代劇にはよくあった物語のテーマであるが、最近では「水戸黄門」や「長七郎江戸日記」をはじめとする時代劇が激減、平成ライダーシリーズなど必ずしも敵側が絶対悪と呼べる作品の方が少なくなり、時代遅れ・形骸化しつつある概念である。
とはいえ、最後に悪が勝って善が滅びるような作品とてそう多くはなく(あっても主流とは見なされ難い)、主人公側が一般的な正義観を行動の前提としていない所謂ダークヒーローやアンチヒーローものであってもそれに相対する方がさらに強大な悪だったり、また悪側にもそれなりの事情があろうと結局は善側によってその目的を阻止されたりと、どんな形であれ最終的にはなんだかんだでこれに近い結末に落ち着く傾向が強く、今だに作劇の上ではある種の王道として扱われている。
正確にいえば時代劇も悪代官達を「懲らしめ」はするが、命までは奪わないし、「助さん、格さん。もういいでしょう。」という台詞からも分かる通り、ちゃんとその節度を守っている。
悪を懲らしめるのも、節度を守らなければただの粛清・蛮行と化してしまうからであろう。
その一方で、アメリカンヒーローが活躍するハリウッド映画ではいまだにヒーローは正義の味方、敵キャラは悪の権化で描かれることが多く、「銀河英雄伝説」のように帝国軍が悪の軍団ではないという概念は、他国の読者にとって驚きとなっている(もっとも、海外も海外でヒーロー側が掲げる正義や価値観に疑問を投げかけるような展開の作品も少なくはない)。