ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

京成東成田線の編集履歴

2019-04-13 04:00:19 バージョン

京成東成田線

けいせいひがしなりたせん

京成東成田線は、京成電鉄が運営する路線の一つ。

概要

京成電鉄が運営している鉄道路線の1つ。京成本線京成成田駅(成田駅)から東成田駅までを結ぶ。営業キロ7.1km。途中の駒井野信号場までの区間は、京成本線との重複区間としている。


歴史

東成田線は成田空港の建設計画やその後の情勢によって、さんざん振り回された歴史を持つ路線の代表格と言っても過言ではない。

1960年代後半に成田空港の建設計画が進行すると、京成も京成成田駅から新空港に至るアクセス路線を建設することに強い関心を持った。背景としてライバルである国鉄総武線の複々線化工事が始まっており、1968年には成田までの電化も完成していたことも影響したとみられる。しかしながら当時都心へのアクセスとして成田新幹線が考えられており、国も省庁、空港建設公団も一私鉄で設備も貧弱な京成線の延伸には冷たく、ようやく確保できた場所は空港ターミナルから大きく外れた一角を与えられたと言えるような場所であった。

しかしながら建設中の1971年頃になると、本来直接競合するはずの成田新幹線建設の雲行きが怪しくなり、今度は逆に開港予定の1973年までに完成させるよう急かされるようになる。そのため、1972年にはアクセス用の特急車である「AE形」が完成する。


しかしながら肝心の成田空港の建設は、新左翼勢力まで巻き込んで暴動化した反対運動の影響で遅れに遅れており、さらにテロの危険から新線の施設の完成後も試運転すら出来なかった。

これら使用できない施設の膨大な維持管理費は、既に不動産事業の失敗で傾きかけていた京成の経営に大きく影を落とし、スカイライナー用に用意した新車も当初は暫定運行を認められず、当局に泣きついてようやく営業運転に漕ぎつけた逸話がある。


1978年になってようやく成田空港が完成・開港、新線も京成本線の一部として開業するが、当時は海外旅行は一般化しておらず、また成田空港駅で路線バスへの乗換えが嫌われ、何より成田空港自体が暴動の危険と、極端な警備で近づき難い環境であったことから、自慢のスカイライナーですら客足は全く伸びず空気輸送が続く有様であった。また京成も過激派から攻撃の対象になり、施設の破壊や車両の放火などの重大事件も数度に亘って発生している。またこの時期、京成電鉄自体も倒産寸前の深刻な経営危機に直面している。


こうした状況が改善されたのは、1980年代後半に入って海外旅行が一般化するようになってからである。その頃の日本はプラザ合意による円高で、これまで非常に高額だった海外旅行が一気に低価格化した事情もあった。さらにバブル景気に突入して、スカイライナーの乗車率もこれまでの閑古鳥が嘘のような盛況ぶりに転じたのである。

しかし、空港側のターミナル駅が中途半端な立地であり、不便な状況であることは変わっておらず、ライバルのリムジンバス首都高速道路京葉高速道路の慢性的な渋滞のため定時制は大きく損なわれていた。

また、建設されるはずだった成田新幹線は計画自体が消滅して、部分的に確保された用地と建設された遺構が残っている状態だった。

空港アクセスに行き詰まりを見せ始めていた状況下、新幹線計画のために確保・建設していた遺産を活用して、既存の路線を空港ターミナル直下までの延伸を提言したのが、時の運輸大臣であった石原慎太郎である。


こうした激動の経緯を経て、1991年の成田国際空港(成田空港)の旅客ターミナル直下への乗り入れにあわせて京成本線のルートが変わり、ルート変更前の区間を「東成田線」へ改称させた。そして2002年に空港建設の見返りとして芝山鉄道が開業し、芝山千代田駅までの相互直通運転を開始して現在に至る。


運行間隔

芝山鉄道線も含めて、日中は京成成田~芝山千代田間の普通列車が40分間隔で運行されている。

また、朝と夜の時間帯は京成本線へ直通する普通・優等列車が運行されている(最大1時間当たり3往復)。


関連タグ

京成電鉄 京成本線 芝山鉄道 成田空港駅

千葉県 成田市

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました