曖昧さ回避
『仮面ライダーエグゼイド』の劇場版作品⇒トゥルー・エンディング
概要
基本的にマルチエンディングのゲームで使われる名称で、その名が示す通りその物語の『真実』である。
多くのパターンではハッピーエンドの一種と言えるが、製作者の意図した「正史」「真実」でありあくまで「物語として」理想的な終わり方ということであるため、登場人物たちにとってはバッドエンドであることも珍しくないし、逆にプレイヤーからすればバッドエンドだが、登場人物からするとそうでもないパターンも存在する。
マルチエンディング以外では、いわゆるループモノなどでプレイヤーが周回プレイをすること自体を物語の構造に組み込んでしまい、実は「主人公もループする世界を周回していた」というようなギミックになっている場合もある。この場合、各周回のエンディングは全体の話の一部にすぎず、最後の最後に本当のエンディングを用意している。
稀有なケースだと、トゥルーエンドに位置づけられているのに、その中でさらに分岐があるという、真実が1つとは限らないことをあくまでも貫き通す作品もある。
しかしプレーヤーの望むものと製作者の意図したものとが噛み合わないことも間々ある。
あるいは「各々のプレーヤーが感じるそれぞれがトゥルーエンドである」と製作者側が明言しているケースもある。
大体の場合、製作者が本当にやりたかった結末のことだが、プレイヤーが本当に見たかったエンディングを後からそう呼ぶこともある。
極端な例では制作サイドの「トゥルーエンド」が悲劇的な結末であった場合、プレイヤーサイド(ファン)が他の「ハッピーエンド」を「トゥルーエンド」として扱う事も。
またマルチエンディングというゲーム構成の都合上、トゥルーエンドがトゥルーエンドであるために登場人物や世界設定の情報が他のルートで判明しており、それがトゥルーエンドでも密接にかかわっている場合も多い。その場合にはアニメ版などでストーリーが一本道になった場合にはストーリーが再構成されたり、トゥルーエンドを描かない場合もある(もちろん全ルートをアニメ化するというパターンもある)。
ふたば☆ちゃんねる(二作目、三作目)やLISA:_the_Painfulのような続き物の場合、次回作へと物語が続いているエンディングがトゥルーエンドとされる場合が多い(所謂、正史である。もっともトゥルーエンドが正史となるかはその後の展開方法次第である)。
ちなみに、あまりに悲劇的だったり消化不良だったりした原作に対し、秀逸な二次創作にもうこれが公式でいいよ的な意味合いで使われることもある。
トゥルーエンドが一番のグッドエンドではないものの一例
- 伝説のオウガバトルのように「大きな物語の一部」や「何かの前日譚」の場合
この場合、正史エンドではどうしてもその次の話に繋がるような不穏な形で締めくくられることになるが、正史以上に活躍した結果正史とつながらないハッピーエンドが用意されている場合がある。
- ドラゴンクエストⅣのような「リメイクの際の後付け」である場合
元々の話では不可能だった選択が取れてしまったり、追加要素のオマケとして本来助からなかった人が助かってしまう結果、元以上のハッピーエンドになる場合がある。
この場合、リメイク前後両方の開発者が公言したり、作中で並行世界などのリメイク前の原作に対する言及がされない限り(されたとしても)、結末を上書きして書き変えてよいのかという問題が残る。
- そもそもグッドエンドと呼べそうなものが無い(ドラッグオンドラグーン、テイルズオブエクシリア2、ムーンライトラビリンス等多数)
- スペクトラルフォース愛しき邪悪は、『そう言ったエンディングのカタログ』と言っても過言ではないレヴェルである。
『君主=主人公が死ぬ』のは当たり前で、『実母の怨霊(の妄想)に苛まされ発狂する』や、『先祖の悲願を達成するも、君主の親友が死ぬ&死亡理由が戦争による環境破壊』、果ては『部下から殺されるor部下を自ら殺す』等、胸糞悪くなる最後ばかりである(無論、健全なトゥルーエンド=ハッピーエンドも存在するのでご安心を)。
トゥルーエンドとしては変わりものにあたる一例
- トゥルーなのに分岐がある(サガ3時空の覇者SoLでは真実すら1つではない)