概要
プロ野球
一口に「引退試合」といっても選手によって大きく異なる。野球選手の場合、投手では一人の選手と相対するケース、野手では一打席のみに出場するケースとスタメンに名を連ねるケースがあり、人それぞれである。
必ずしもその選手が最後に出場した試合が引退試合になるわけではなく、引退するけど戦力として必要などのチーム事情でシーズン終了(場合によっては日本シリーズ最終戦)まで出場と言う場合も少なくない(小久保裕紀や初芝清など)。
また引退試合は行われなかったけど、最後に出場した試合で試合を決めるホームランを打ったなど、記憶に残る活躍をして実質それがその選手の引退試合のようにイメージされる例もある
この例では日本シリーズ最終戦でホームランを打った中畑清など。変わった例では佐々岡真司は自身の引退試合の翌日に古田敦也の引退試合の最終打席に登板、そちらの方が記憶に残った。また石井琢朗は最後に在籍した広島の本拠地で引退試合を行ったが、シ-ズン最終戦は古巣の横浜DeNA戦となり、これもこちらの方が記憶されている。
そのチームが優勝を争っている場合、いくらチームに貢献した名選手でも「引退試合」が割愛されついに行われなかったり(この例では広島の北別府学など)、翌年のオープン戦に先送りされることもある。クライマックスシリーズ(パはプレーオフ)導入以降、消化試合が減ったこともあり、シーズン中の引退試合は以前より難しくなってるのが現状である。
王貞治、張本勲両氏のようにシーズン終了後に引退を表明し、ついに「引退試合」が行われなかったこともある。戦力外通告を受けて、現役続行を望んで球団からの引退試合開催を拒否、結局所属先が決まらず引退試合を行わなかったという例も多数ある(オープン戦などで開催された例もある)。
プロ野球を越えて日本で引退試合の代名詞とも言われるのが1974年に引退した長嶋茂雄の試合で、試合後のスピーチの「我が巨人軍は永久に不滅です」でも知られる。
大相撲
基本的に場所の最中、取り組みに勝てなくなり、体力、気力の限界を理由に引退するケースが多い。慣例として場所中に引退を口にした場合は、まだ取り組みが残っていても「相手に失礼にあたる」ということで土俵に立てなくなる。
たとえば、千代の富士は最後は貴花田に負けて引退したかのようにイメージで思われてるが、これはもちろん引退試合(取組)として行われたわけではない(ちなみに貴花田戦が最後でもない)。
引退試合は行われないが、関取になり幕内・十両で実績を残したものには、「引退相撲」を開催することができ、メーンイベントとして土俵上でその力士をひいきにする人々や師匠にあたる親方・仲間の力士らによって「断髪式」がとり行われる。
サッカー
「引退試合」が行わる場合、シーズン最終戦がそれに充てられることが多い。また、スター選手になるとその選手の所属チームと友人にあたるかつてのスター選手たちが集まって「ドリーム・チーム」を作り「ドリーム・マッチ」が行われることがある。(この場合、引退する選手は前半は所属チームに、後半は「ドリーム・チーム」に所属してプレーすることがある)