空気抵抗を低減させ、性能を向上させるのに有効とされる。
概要
急激な形状変化を避けた、各部が丸みを帯びた滑らかなデザインとなるのが特色である。
音速を超えない速度域であれば、水滴のように先端部を丸くして後部を緩やかに絞り込んで後端を尖らせると空気抵抗がかなり抑えられるが、効果の程は速度域や馬力によって大きく変化する。
その昔は「弾丸型」「魚雷型」とも呼ばれていたようである。
沿革
1910~20年代、エンジンを積んだ乗り物が200km/hの壁を突破しつつあった頃に登場し、1930~50年代に人気となったデザインである。
自動車
自動車の分野では、グランプリレース(現在のF1グランプリ)で1920年代から断面をただ絞るだけでなく、流線型を意識したマシンが現れるようになった。
実は、この頃のマシンは、先頭に断面積一杯の大きなラジエーターがあったため箱状のボディで先端がすっぱりと切られたような容姿だったが、やがて丸みを帯びたグリルが付けられるようになり、1930年代に入ると全体が滑らかな丸みを帯びたボディを纏うようになった。
市販車でも、1930年代から高級車を中心に流麗な車体が架装されるモデルが登場し、1950年代まで製造された。
タトラ T87
ドライエ 175s
トヨタ 2000GT
その後は、性能志向の超高級車やグランプリレーサーなどでは、1960年代まで「典型的な流線型」と呼べるマシンが作られ続けたが、1940~50年代の時点で一般的な市販車ではシャープな形状が流行しつつあったことや、1960~70年代にレーシングカーにウイングが付けられるようになると、単なる流線型は往時の勢いを失うことなる。
航空機
航空機分野では、欧州で1913年から行われた航空機の最高峰レースである「シュナイダー・トロフィー・レース」でも、黎明期では長い箱型だった機体が年を経て滑らかに丸みを帯びた形となってゆく様子が伺える。
とはいえ、初回大会から大会が終了するまでの20年弱の間に恐竜的な進化を遂げ、遂に一般的に流線的と呼ばれる形を超えた非常にシャープな形状の機体となったが、当時の空気力学の進化を掻い摘んで見るにはよい題材である。
鉄道
鉄道分野では、1920年代末から30年代にかけて、欧州やアメリカを中心に試験車両で最高速度200km/h、実際に営業運行された列車でも150km/h以上に達するような高速列車が現れるようになった。
特に最初に流線型が導入されたとされるプロペラ推進式の高速列車「シーネンツェッペリン」には航空機の設計手法とともに流線型が取り入れられ、最高時速230km/hを記録したのを皮切りに鉄道分野にも導入が進められた。
後にプロペラ推進式は実用性の問題で消滅することとなるが、それでも戦間期の鉄道黄金期を象徴する高速列車には流線型のデザインが積極的に取り入れられている。
この流線型のデザインは鉄道車両の中では国を問わず一時的に流行となり、100km/h以上での恒常的な運転が難しかった当時の日本でも、C53型、D51型蒸気機関車(の一部)や、52系電車といった流線型の車両が登場している。
日本では、1930年代に実験的に取り入れられて以降は、実用性に難があったために本格的なものは直ぐに廃れたものの、その名残が残る曲線的なデザインの車両が続々と登場し、戦時体制下を挟んで戦後も製造された。
一方で、戦前こそ「形だけ」で終わった流線形車両も戦後になると小田急電鉄のSE車や、更に後に登場した0系)[新幹線]]など、かつて高速列車に憧れてそれが叶わなかった鉄道マンたちの雪辱を晴らすような実性能が伴った車両が現れている。
その後
総じて先に述べた当時の流線型のデザインは、黎明期~第二次世界大戦の頃までは、製品によっては設計者の「勘」で設計されたものや、1930年代の流線型ブームによって特に裏付けがなく作られたものも少なくなかったものの、第一次世界大戦が終結してからの短い平和な時代、乗り物を含めてあらゆる工業製品の性能が飛躍的に向上しつつあった頃を象徴するデザインでもあった。
その後も、空気抵抗を軽減させるデザインの基本的な形としては「流線型」は、ほぼ不変と言っても過言ではない。
しかしながら、現在では解析・計算技術が格段に進歩し、また商業的なデザイン面でも空気力学分野でも様々な要求が成されるようになったため、往年のような一見してそれと分かる”単純な”流線型はあまり作られなくなったものの、一方で旅客機の胴体の丸い鼻先と徐々に細くなる尾部はまさに100年ほど前から続くセオリーどおりの流線型である。