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三遊亭圓歌の編集履歴

2019-11-02 19:58:40 バージョン

三遊亭圓歌

さんゆうていえんか

三遊亭圓歌は落語の名跡である。2017年7月現在、最後にこの名跡を継承した三代目の死去によって空き名跡となっている。

初代(1876年- 1927年)

初代三遊亭圓右門下。


二代目(1890年- 1964年)

昭和噺家名人撰 二代目三遊亭圓歌

初代三遊亭圓歌門下。元落語協会副会長


三代目(1929年- 2017年)

[メイン画像の人物。]

1929年1月10日生まれ。東京都出身。本名は中沢信夫。僧侶としての法号(後述)は圓法。


戦前は国鉄職員として、駅員を務めた。

終戦後に退職、2代目円歌に入門した。前座名・歌治。

1948年4月に二つ目に昇進し、2代目三遊亭歌奴に改名。(初代歌奴は師匠・2代目円歌の前の名前)

1958年9月に真打昇進。

この頃黎明期のテレビ演芸番組に多く出演し、1960年代は売れっ子芸人の一人に。外国アニメ『ドラ猫大将』ではメインキャラの一人・ベニ公を演じている。

一時期「笑点」の大喜利メンバーとして出演したり、昭和天皇の前で御前公演をしたり、浪曲好きが昂じて浪曲師に弟子入りもした。

1970年9月、3代目圓歌を襲名。以後はテレビ出演を控え、高座に専念。


古典・新作双方をこなし、新作の『授業中』『浪曲社長』『中沢家の人々』が有名だが、古典でも『替わり目』『坊主の遊び』『西行』などのレパートリーを持つ。


1985年に出家。日蓮宗久遠寺で修行し、僧侶「本遊院圓法日信」と噺家「三遊亭圓歌」の二つの草鞋を履く。

年配になってからの仏門へ入門だったため、お経を唱えながら水垢離を行っている最中に心筋梗塞で倒れ入院、退院後の病室は著名人が立て続けに入院して亡くなっていったこと、マスコミからの問い合わせに対し、弟子が言い間違えて『病状は(自主規制)です。』と答えたこと、自分の両親、亡くなった前妻の両親、再婚した妻の両親と計6名と同居していたことを『中沢家の人々』でネタにしている。


高座では初めて黒以外の色の紋付きを着て務めた噺家である。


落語協会では副会長⇒会長⇒相談役(現在)についている。

弟子も多く、その中には初の女性で真打になった三遊亭歌る多、大相撲出身の三遊亭歌武蔵フジテレビ系『ペケ×ポン』のコーナー「ペケポン川柳」準レギュラーの3代目三遊亭歌橘がいる。


2017年4月23日、腸閉塞により病没。享年88。


四代目

三遊亭歌之介師匠

三代目の弟子の一人・三遊亭歌之介が2019年3月に四代目・三遊亭円歌を襲名することが発表された。

報知スポーツより。

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