AMラジオ放送は京都府と滋賀県を放送対象地域とし、テレビ放送では京都府のみを放送対象地域とする特定地上基幹放送事業者。略称KBS。通称であるKBS京都と呼ばれることが多いが、正式社名は京都放送で更に遡ると近畿放送という社名だった。
放送局概略
ラジオ放送
系列 | NRN系 |
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愛称 | KBS京都・KBSラジオ・KBS京都ラジオ |
コールネーム | きょうとほうそう |
親局 | 久御山送信所 | JOBR | 1143kHz/20kw |
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比叡山送信所 | 94.9MHz/3kw | ||
副親局 | 彦根 | JOBW | 1215kHz/1kw |
舞鶴 | JOBO | 1215kHz/2kw | |
福知山 | JOBE | 1485kHz/100w |
久御山送信所は日本のAMラジオ送信所では珍しい自立式鉄塔である。
テレビ放送
番組供給系列 | 全国独立放送協議会 |
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コールサイン | JOBR-DTV |
リモコンキーID | 5 |
親局 | 京都(比叡山)23ch |
親局である比叡山送信所の送信アンテナがなぜか滋賀県方向にも向いており、滋賀県でも広範囲で直接受信可能。舞鶴中継局を介して福井県にも視聴者が居る模様。
歴史
民放草創期からある局であるが、テレビは京都府に本社を置いていたことや関西テレビの開局支援に回ったこともあり、独立UHF局として開局した。
また、1990年代には巨額汚職事件である「イトマン事件」に巻き込まれ、放送機器は借金のカタにされ、給与は滞ったため廃局の危機を迎えたこともあるが、従業員だけでなく市民が一丸になった努力により見事復活を果たした。
- 1951年
- 6月:京都放送株式会社創立。略称はKHK。呼称はラジオ京都。本社とスタジオは中京区烏丸二条上る蒔絵屋町の旧京都商工会議所ビルに置いた。
- 12月14日:ラジオ放送本免許交付(コールサイン:JOBR/周波数1140kc/初代送信所を北区衣笠山に設置)
- 12月24日:日本で5番目の民間中波ラジオ局として開局。17時放送開始(コールサイン:JOBR/周波数1140kc/500W)。
- 1958年:京阪神急行電鉄株式会社(現・阪急阪神ホールディングス株式会社)、産業経済新聞社、京都新聞社、神戸新聞社、神戸放送株式会社(現・株式会社ラジオ関西)と共に大関西テレビ放送(現・関西テレビ放送株式会社)を設立。
- 1963年11月3日:高島屋京都店に常設サテライトスタジオ第1号「ラジオ京都 高島屋サテライトスタジオ」を設置。
- 1964年10月:株式会社近畿放送(略称KBS)に商号変更。
- 1965年5月:新社屋が京都新聞ビルに完成。これまでの本社は烏丸通向かい側にあった。
- 1968年12月24日:アナログテレビ放送試験電波の送信を開始(JOBR-TV/比叡山親局34ch/映像出力10kW)。
- 1969年4月1日:アナログテレビ放送を本格的に開始。東京12チャンネル(現・テレビ東京)、日本教育テレビ(現・テレビ朝日)とネットワーク関係を結ぶ。
- 1978年11月23日:国際電気通信連合(ITU)の決定により、日本国内におけるAM放送の周波数間隔が10kHzから9kHzに変更。それにより、ラジオの京都本局の周波数が1140kHzから1143kHzに変更。
- 1981年4月:開局30周年を機に、京都新聞本社南館7(6)階から9階にあった本社を烏丸上長者町の新社屋に移転(地上5階・地下1階建て)。同時にKBS京都の呼称を使用開始。
- 1983年:白石英司社長(兼京都新聞社社長)が急死し、内田和隆が後任社長に就任。遺産相続段階で京都新聞社とKBS両方に英司社長が進めていた不動産投資の失敗による70億円にも及ぶ簿外債務が発覚する。これが経営破綻の序章となる。
- 1984年:簿外債務処理などをめぐり、京都新聞社が内田社長の解任要求を明らかにするが、株主総会招集直前に撤回。英司未亡人の浩子が京都新聞、英司の母がKBSを支持し、京都新聞とKBS、および白石一族内の確執が表面化。
- 1985年〜1988年:簿外債務処理のためにKBSが切った約束手形が闇金融に流れる。イトマン事件の中心人物となった許永中に手形の回収を依頼し、手形の回収に成功。KBSは許を資産管理会社のひとつ「KBSびわ湖教育センター」の代表取締役に就任させる。
- 1989年
- 6月