概要
名古屋鉄道が国鉄高山本線直通用に日本車輌で1965年と1969年の2回に亘り、6両ずつ合計12両が製造された。当初は準急、その後急行、さらには国鉄ばかりか富山地方鉄道の特急列車にまで充当されるという希有な経歴を持つ。
車両性能は国鉄のキハ58系に準じている。内装は晩年は白帯パノラマカー同等の転換クロスシートを装備しており、急行型としては十分であったが特急型としてはかなり見劣りするものだった。
1991年に後継のキハ8500系に置換えられて引退。引退後も尾西線日比野駅に稼働可能な状態で留置され、対外譲渡を模索していたが、性能が低い上に車体も重く、更に老朽化した気動車を欲しがる事業者は現れず結局全車解体されている。
ちなみに、先頭車に取り付けられているのは名鉄特急ではおなじみミュージックホーン。さらに引退時には国鉄特急色に塗られていたが、実は赤い部分は国鉄特急の赤ではなく名鉄スカーレットである。
直通運転の経緯
名古屋鉄道は戦前の1932年10月から名古屋の中心と下呂を直通する列車を走らせていた。この頃はモ750に便所取り付け、畳敷き化の改造を行った車両を省線内は蒸気機関車で牽引するという方式で、鵜沼駅に連絡線を設けていた。
1940年10月実施の戦時ダイヤ改正からは国鉄の木造客車を名鉄線内で電車牽引する逆乗入れの形態となった。この直通運転は戦況の悪化により中止されたが詳細な時期は不明である。ただ1944年の時刻表には直通列車の記載があった。
戦後、1960年代の国内観光ブームを背景にこの直通運転再開が目論まれ、名古屋臨海鉄道開業による築港線の貨物列車廃止が実現の後押しとなった。名古屋臨海鉄道には国鉄が出資しており、高山線への直通列車復活は貨物輸送廃止による減収分の補償という意味合いがあったようである。
形式別解説
キハ8000形
1965年に2両、その後1969年に1両が製造された片運転台の普通車。走行用エンジン1基と、冷房電源用エンジンを1基搭載する。
キハ8050形
1965年に2両が製造された中間車。高山本線の急勾配に備えて走行用エンジンを2基を搭載。
キロ8100形・キロ8150形
私鉄では当時珍しかった一等車(グリーン車)で、先頭車1両(8101)と中間車(8151)が製造された。走行用エンジン1基と、冷房電源用エンジンを搭載する。
その後、普通車に格下げされキハ8100形となった。(キロ8151は先頭車化改造され8102となった)
キハ8200形
立山直通用に増備された車両。1969年に5両が製造された。キハ8000系の中では最も重装備な車両で、走行用エンジン2基に加えて冷房電源用のエンジンも搭載する。
そのため車体長が最も長いが、車両限界に抵触しないように車体幅は最も狭くなっている。