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編集者:榊の龍
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概要

戦国時代武将三好長逸三好政康岩成友通の三人は、三好長慶率いる三好家の重鎮であったが、長慶死後に子の三好義継の後見役として3人が台頭。

三好家での主導権を握るだけでなく室町幕府を牛耳ろうとしていたが、将軍親政を考えた13代将軍・足利義輝と対立。同じく三好家で権勢を振るった松永久秀と対立するようになった。そこで永禄8年(1565年)に三人衆は久秀の息子・久通と組んで将軍邸を襲撃し義輝を暗殺する「永禄の変」を起こした。14代将軍に足利義栄を擁立して幕府の実権も握った。

この頃が彼らの権勢の絶頂で、ポルトガル宣教師ルイス・フロイスの『日本史』の中で、三人衆と久秀を指していると思われる「天下の執政4人」という言葉が出てくる。

しかし、義継や久秀との対立が悪化し、永禄9年(1566年)には足利義昭を擁する織田信長が上洛。信長に反発して抵抗を繰り返し、義昭が呼びかけた信長包囲網にも加わったが、敗退を続けて勢力も衰えた。

永禄末に政康が病死、元亀年間(1570年~1573年)に友通が戦死し、長逸も敗れて消息不明に。長年の内紛と敗北で三好家も衰退した。一説では政康は豊臣家家臣として大坂の役で戦死したともいう。

歴史的意義

歴史的には割と目立つ役回りを演じていたのだが、とにかく細かい資料が少なく、個々のキャラが弱い。生年が分かっている者は誰一人おらず、没年も友通以外は不明。出自も不明瞭で、三好姓を名乗っていた二人ですら父親候補が二人以上おり、友通に至ってはそもそもなんで三好家にいるのかが分からない

一時的とはいえ中央の権力を牛耳っていたため、戦国期を題材にした作品での登場頻度はかなり多い。しかし、名前だけだったり、適当にまとめられたり、単なるやられ役だったりなど、かなりぞんざいに扱われるのが常である。そして、必ず3人セットでないと知名度は低い。

強いて言えば政康がモデルになった(とされる)三好清海入道が真田十勇士の1人として活躍している程度である。もちろんそれらの作品で三好三人衆に言及される事は殆どない。

三好三人衆(戦国BASARAシリーズ)

メイン画像がBASARAに登場する三人衆。三兄弟らしい。2つ名は【必殺非業】。

声優はそれぞれ長男が細谷佳正、次男が千々和竜策、三男が石上裕一

主君である松永久秀の命令で時に略奪を、時に破壊を行う。

そのため松永軍の死神部隊として恐れられている。

戦極姫シリーズ

3でのみ三好家シナリオの主要人物として登場。

まとめ役であり温厚な長逸、エロいサディストな政康、物静かで腹黒な友通というキャラクターになっている。性格的にバラバラで仲が良いようにも見えないが、何故かバランスは取れているようで、政治的には三人揃って行動する。久秀ほどの非情さは無いが、道理よりも利権を優先し、勝ち目の良い方に味方するなど全体的に小物で食えない性格である。

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編集者:榊の龍
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