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MiG-25の編集履歴

2011-11-07 10:01:55 バージョン

MiG-25

みぐにーごー

ミコヤン・グレヴッチ設計局が設計した、大型の迎撃戦闘機。時速3000km(マッハ2.83)の俊足を誇り、かつてはソビエト防空軍の主力を担った。また、防空型のほかに偵察型があり、採用国は少ないながらも輸出された。テルアビブ上空をマッハ3.2で偵察したのは、この機であるとも言われている。(無人偵察機との異説もある)ちなみに、左のイラストは偵察機型である。

A-12を迎撃せよ!

MiG-25開発の契機はA-12の開発計画を察知した事から始まった。

1960年5月にはU-2偵察機ソ連領内に侵入し、撃墜される事件があったため、スパイ機への対抗は急務であった。

その上、最大速度マッハ3の偵察機が登場するのだからたまらない。

かくして、MiG-25は時速3000km(マッハ2.83)の防空戦闘機として、開発が急がれる事となった。


もちろんA-12専用、というわけではない。

当時すでにB-70の開発は中止されていたが、B-58やA-5のようなマッハ2級の爆撃機が続々と登場していたため、高速の迎撃機は必要だったのだ。


A-12とは

CIAがロッキードの秘密開発部門「スカンクワークス」に開発させたスパイ偵察機。

「A」の符号が付いているが、これは攻撃機ではない。

Aはスパイ機の極秘開発計画「アークエンジェル」のコードネームを意味し、

A-12とは、この計画で12番目の開発プランという意味である。

迎撃機YF-12を経て、後にSR-71となる。

総生産数はA-12、SR-71を合わせて48機。

最大速度は高度24000mでマッハ3.2。


初めての時速3000km、そして困難。

1961年2月に開発が開始されたが、簡単な話では無かった。

なにしろ時速3000km(マッハ2.83)など、ソビエトで初めてなのだ。

その苦悩を表すように、試作型MiG-25であるYe-155(E-155)は形態を何度も変えている。

列挙すると、

・翼端チップタンクの廃止

・主翼に下半角の付与

などなど、空力でも苦労した事がうかがえる。


また、マッハ3に近い飛行には熱も問題となる。

空気との摩擦熱やエンジンの熱だけではない、機体の前縁で発生する圧縮熱も問題である。

非常な高温となるため、アルミでは融点に近づいて強度を維持できない。

そこで熱や伸びに強く、なおかつ軽いチタンで製造されているとの観測がなされた。

実態は後述のとおり、機体の殆どはスチール(つまり鉄)であり、

チタンの使用はエンジンノズルなど、わずか6%に留まった。


これをエンジンのパワーで、半ば強引に加速しているのである。

凄いのはむしろ、エンジンの方ではないだろうか。


脅威のレコードブレイカー

1967年7月9日ソビエト、ドモデドヴォ空港の航空ショーでの事。

この航空ショーではMiG-23やSu-17など、ソビエトの新型戦闘機が多く公開された。

しかし、その中で最も注目されたのはMiG-25(Ye-155)である。

上空を高速で通過するだけであったが、そのインパクトは絶大であった。


参加したのは戦闘機型3機に偵察機型1機。

ベトナム戦争でミグに苦戦させられていた西側では、大騒ぎとなった。

見るからに先進的で、高性能な戦闘機だったからだ。

その後もMiG-25は飛行記録を次々に塗り替え、高性能のイメージを決定付けた。


不安を解消した、とある飛行士の憂鬱。

イスラエル軍のレーダーでマッハ3.2のMiG-25が確認され、NATO軍はコードネーム「フォックスバット」と呼んでその性能を探り続けた。

また米軍も対抗できる機体の開発を急いだ。その完成形がF-15である。


しかし、謎のベールに包まれた最高機密は、誰もが予想だにしない事態で明るみになった。

1976年9月6日、日本の領空に突如MiG-25が出現し、空自のレーダー網とスクランブル発進したF4EJの追跡をかい潜って、北海道函館空港に強行着陸したのだ。

パイロットのソ連防空軍中尉、ヴィクトル・イワノヴィッチ・ベレンコは祖国の生活(エリートではあったが、生活は何かと窮屈で、夫婦間も冷え切っていた)に見切りをつけ、墜落を装ってMiG-25でアメリカ亡命を目的に日本にやってきたのだった。


ベレンコの亡命は受理され、Mig-25も米軍によって解体分析された。

チタン製と思われた機体は一般的なスチール製(機体のなんと80%!!)で、マッハ3以上での飛行には制限が課せられていた。

また機首に搭載された巨大なレーダーにも、当時既に旧式となった真空管が使用されていた。(真空管は核爆発の影響を受けにくく、核戦争の想定では当然という意見もある)

調査から、MiG-25はドッグファイトを目的とした戦闘機ではなく、一撃離脱を極めた迎撃機だと判明した。

MiG-25の脅威とは、単なる過大評価だったのだ。


その後、いくつもの派生機が生まれたが、ソビエトが実戦に使用することなく冷戦終結と共に役目を終えた。


デザート・カモの蝙蝠

非常な機密、また高価なので、MiG-25の輸出は極めて限られたものとなった。

数少ない輸出国(ワルシャワ条約機構を除く)は、

イラン・イラク・アルジェリア・リビア・インド・ブルガリア

がある。

迎撃・偵察を目的とした機体であるので、戦果についてはあまり聞かれない。


有名どころでは湾岸戦争の折に、F/A-18を撃墜した事が知られている。

またインドでは、偵察型のMiG-25RBがパキスタン奥地を強行偵察している。(インド政府は否定している)


迎撃機と偵察型

MiG-25には、大きく分けて2つのバリエーションがある。

一つはMiG-25Pをはじめとする迎撃機、

もう一つはMiG-25Rに始まる偵察機である。


MiG-25P

MiG-25Rと共に、最初に開発された迎撃機がMiG-25Pである。

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