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守貞親王の編集履歴

2021-02-20 08:40:46 バージョン

守貞親王

もりさだしんのう

日本における皇族の一人。後高倉院。

1179年4月6日(旧暦の治承3年2月28日)〜1223年6月14日(旧暦の貞応2年5月14日)


生涯

高倉天皇の第2皇子として生誕。安徳天皇は異母兄、後鳥羽天皇は同母弟にあたる。

平家の人間に育てられたために兄の安徳天皇と共に都落ちするがのちに帰京。この時すでに弟が即位してたので元服とともに親王宣下。


後鳥羽上皇が土御門天皇に跡を継がせようとしたときに鎌倉幕府が土御門天皇の幼さから難色を示した。守貞親王を担ぎ上げる反後鳥羽派が朝廷内にもいたが、土御門帝が即位したことと、守貞親王を擁立しようとした公家が失脚したことで自身の先が見えないことを悟り出家


8年間は平穏な日を過ごしておられたがそんな彼に青天の霹靂。承久の乱で後鳥羽派が流刑にされたために天皇の席が空席に。そこで、鎌倉幕府は彼に「太上天皇」の位を与え、彼自身が院政を行うことになった。子であった後堀河天皇とともに戦後処理を担った。

2年後に崩御。「後高倉院」という院号を贈られた。


関連項目

後鳥羽天皇 安徳天皇 院政 治天の君


閑院宮典仁親王(天皇に即位せず太上天皇となった例)

伏見宮貞成親王(同上…だったがその後辞めている)

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