十勝丸は、国鉄青函航路で鉄道車両を輸送するために設計された車両渡船。
国鉄連絡船において『十勝丸』を名乗った船は石狩丸型車両渡船『十勝丸(初代)』と渡島丸型車両渡船『十勝丸(2代目)』が存在したがPixivでは初代を描いた作品が無いため、このページの内容も2代目のものである。
概要
渡島丸型の3番船である。
1970年 竣工・就役。
船体は外舷下部と煙突をオレンジ色、外舷上部を象牙色、煙突鉢巻を白、後部煙突兼マストの下半分を銀色、後部煙突兼マストの上半分はオレンジ色で塗装された。
就役後は、他の同型船5隻と共に青函航路で鉄道車両を輸送する任に就いた。
機関室火災事故
竣工からわずか4ヵ月の新造船十勝丸は、1970年10月26日、68便(4時間30分運航便)として20時45分函館第3岸壁を出航、21時50分頃総括制御室で監視業務中、第2主機室の火災表示と警報あり、係員が直ちに現場へ急行した。右舷4号主機械第5、6シリンダー付近より出火しており、最寄りの消火器で初期消火に努め、全主機械停止ならびに燃料・通風一斉停止したが火勢強く、第2主機室密閉のうえ、同室の泡消火器を発動し、さらに車両甲板スプリンクラー放水で冷却。23時00分消火確認後徐々に密閉を解除して室温を下げ、焼損状況調査にて自力航行可能と判明したため、大間灯台より313度 3.5海里より第1主機室の主機械4台にて運航し、27日1時41分函館第4岸壁に着岸した。漂流は3時間に及んだ。
原因は右舷4号主機械L列第5シリンダーの燃料弁冷却油入口管折損部から冷却油(軽油)が霧状に噴出し、高温の排気管等に触れて炎上したもので、当該管は本来継目無鋼管を用いるべきところ、溶接部に未溶着部分のある粗悪な電縫鋼管が用いられ、エンジンの振動がこの管の不良個所に応力集中して折損したと推定された。
十勝丸は応急修理の後、10月27日20時45分発の68便より復帰し、以後11月3日の函館第3岸壁19時40分着の63便まで1日2往復の4時間30分運航を行い、11月4日、本格修理のため函館ドックへ入場した。
終航
“国鉄改革”の一環としての1984年2月1日のダイヤ改正では、貨物列車の大幅削減が断行され、青函連絡船でも貨物便が削減され、それまでの最大22往復から同20往復となった。これにより十勝丸(2代)は青森第3岸壁17時25分発、函館第3岸壁21時10分着の263便で終航となり、着岸後そのまま係船され、その岸壁が所属する有川桟橋も2月1日付けで廃止された。十勝丸(2代)は2月4日、日商岩井に売却され3月8日、解体のため台湾へ向け曳航され函館を去った。