空知丸は、国鉄青函航路で鉄道車両を輸送するために設計された車両渡船。
国鉄連絡船において『空知丸』を名乗った船は檜山丸型車両渡船『空知丸(初代)』と渡島丸型車両渡船『空知丸(2代目)』が存在したがPixivでは初代を描いた作品が無いため、このページの内容も2代目のものである。
概要
渡島丸型の4番船である。
1976年 竣工・就役。
約6年の空白期間をおいての建造で、アンカーリセス復活させ、船楼甲板の甲板室外板に溝形プレスを施した薄鋼板(コルゲートプレート)を多用し、外舷下部色を赤、外舷上部と甲板室をうすい桜色、煙突を藍色、後部煙突兼マストの下半分を外舷上部と同じうすい桜色とするなど変化はあったが、外観上前3隻と大きな相違はなかった。
就役後は、他の同型船5隻と共に青函航路で鉄道車両を輸送する任に就いた。
終航後
1988年8月に小松耀に売却され、神奈川県の産廃業者・三友プラントサービスが川崎 - 苫小牧間のコンテナ輸送や、海上での廃棄物処理をする等の計画も取りざたされた。しかしその後、1990年8月にギリシャの船会社「POSEIDON LINES Shipping」に売却され、ようやく函館を出港した。客室を造設しカーフェリーに改造され、「SEA SERENADE」と改称した。黒海航路で使用された後地中海航路などで使用され、その後2004年に韓国の船会社に売却。2006年に再びギリシャの船会社に売却され、「MARINOS D」に改称。2004年からスロベニア・イゾラ港に長く係船されていたが、2011年末にトルコの会社に売却され、2012年1月初旬にイスタンブール近郊のドックに移動し2012年7月に解体された。
これにより、自力で航行できる元青函連絡船の船はいなくなってしまった。