渡島丸は、国鉄青函航路で鉄道車両を輸送するために設計された車両渡船。
船名は北海道の渡島半島に由来して付けられた。
国鉄連絡船において『渡島丸』を名乗った船は石狩丸型車両渡船『渡島丸(初代)』と渡島丸型車両渡船『渡島丸(2代目)』が存在したがPixivでは初代を描いた作品が無いため、このページの内容も2代目のものである。
概要
渡島丸型のネームシップである。
1969年 竣工・就役。
船籍は国鉄本社のある東京であった。
ワム型有蓋貨車を搭載した場合55両が搭載可能な車両甲板を持つ。なお貨物専用航送便に使用される事を前提として建造されたため旅客設備は持っていない。そのため独特の外観となった。
就役後は、他の同型船5隻と共に青函航路で鉄道車両を輸送する任に就いたが、貨物輸送量の減少に伴って、 1978年9月30日青森3岸22時05分発、函館3岸10月1日2時05分着の275便で運航後、10月2日より函館ドックに係船された。まだ船齢9年という新しさであった。国鉄では、何度か売却を試みたものの不調に終わり、ようやく休船から6年後の1984年8月22日住友商事に売却された。その後、摩周丸火災事故の検証のため、船室の燃焼試験が行われ、1985年に函館どつくで解体された。
塗装
船体は外舷下部と煙突をオレンジ色、外舷上部を象牙色、煙突鉢巻を白、後部煙突兼マストの下半分を銀色、後部煙突兼マストの上半分は黒く塗装された。
同型船
なお石狩丸と檜山丸は後年に旅客設備を追加される改造を受け、貨客航送船となった。
国鉄民営化に伴い上記の渡島丸型のうち空知丸、檜山丸、石狩丸の3隻がJR北海道へ引き継がれ、1988年(昭和63年)3月13日の青函航路最終日まで運航された。