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渡島丸型は、国鉄青函連絡船の車両渡船で、同航路初の自動化客載車両渡船津軽丸型建造終了後、その車両渡船版として航路の近代化と貨車航送能力増強を目的に6隻建造された。

開発経緯編集

国鉄は、まだ残っていた蒸気タービン船の置き換えと、青函航路の貨車航送能力増強のため、津軽丸型同様1日2.5往復可能で、ワム換算55両積載可能な高速車両渡船2隻の建造を1967年11月28日決定し、1968年5月24日、函館ドック三菱重工に発注した。しかしその後も貨物需要の増加は著しく、1968年10月8日に、さらに1隻の追加建造を決定し、1969年5月15日、日立造船にその建造を発注した。これら3隻は、いずれも2代目となる渡島丸、日高丸、十勝丸と命名され、1969年10月から翌1970年6月にかけ、順次就航した。これにより、最後の2隻となった蒸気タービン船も1970年3月末までに退役した。


渡島丸型 渡島丸、日高丸、十勝丸の概要編集

当初は津軽丸型の客室部分を省略した車両渡船を計画していたが、青函航路では急増する貨物需要に対応しきれず、1966年以降は下り貨物に輸送制限を加えるに事態に至り、国鉄本社の運輸部門からの積載車両数増加の強い要請を受けることとなった。このため、船内軌道を可能な限り伸ばすため、旅客扱いしない前提で、船の全長を伸ばすこととし、当時の岸壁有効長や青森港の狭隘な操船海面から許される最大限の長さとして、津軽丸型より12.6m長い全長144.6mとした。


船体塗装色は十和田丸にならい、3隻とも外舷下部と煙突をオレンジ色、外舷上部を象牙色、煙突鉢巻を白、後部煙突兼マストの下半分を銀色としたが、塗り分け線は中甲板レベルへ下げていた。


渡島丸型 空知丸、檜山丸、石狩丸の概要編集

渡島丸型第4船から第6船までの3隻は、1976年から1977年にかけて、旧船と同名の新造船として建造された。約6年の空白期間をおいての建造で、外舷下部色を赤、外舷上部と甲板室をうすい桜色とし、煙突を石狩丸(2代)の外舷色と同じ藍色、後部煙突兼マストの下半分を外舷上部と同じうすい桜色とする等の変化はあったが、外観上前3隻と大きな相違はなかった。


シンボルマーク編集

1977年3月7日、初めての国営青函連絡船として、比羅夫丸が就航した1908年3月7日から70年目ということで、当時就航中の13隻の連絡船のシンボルマークが作成され、津軽丸型では順次船体に取り付けられたが、車両渡船だった渡島丸型各船では、船体への取り付けはなく、旅客の目に触れることはなかった。しかし1982年の石狩丸檜山丸の客載車両渡船改造時に、この2隻では、両側外舷上部と新設甲板室屋上の遊歩甲板前方中央の階段室後壁に取り付けられた。


渡島丸:神への賛美・トラピスト

日高丸:日高路の駿馬

十勝丸:ワインの香り・十勝

空知丸:初夏の香り・すずらん

檜山丸江差かもめ

石狩丸石狩川

全船の統一マーク:救命ブイとイルカ


要目(渡島丸 新造時)編集

総トン数4075.15トン
全長144.60m
垂線間長136.00m
型幅18.40m
型深さ7.20m
満載喫水5.10m
主機関単動4サイクルトランクピストン 排気ターボ過給機付ディーゼル機関 川崎 MAN V8V 22/30mAL 8台
最大出力11,945軸馬力
定格出力1,600制動馬力×8
最大速力20.67ノット
航海速力18.20ノット
乗組員53名
車両搭載数ワム換算55両(※)

(※)換算両数は、鉄道車両や列車の重量を車重10トンの有蓋貨車(ワム)に換算して表現すること。例えば同じ1両でも車重10トンの有蓋貨車と35トンの客車では同じ1両でも3倍以上の差が生じる。このため機関車で牽引したり車両渡船に積み込む際には実際の車両数(現車x両)と編成重量(換算x両)の両方を明らかにする必要がある。


同型船編集

渡島丸型の船名はいずれも2代目、石狩丸のみ3代目である。


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青函連絡船

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