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石狩丸は、国鉄青函航路で鉄道車両を輸送するために設計された車両渡船。

国鉄連絡船において『石狩丸』を名乗った船は3つあるが、このページの内容は3代目のものである。

概要編集

渡島丸型の末っ子、6番船である。


建造は、広島県尾道市の日立造船向島工場。

1977年 竣工・就役。

青函連絡船で最後に新造された車両渡船である。


船体は外舷下部と煙突を赤色、外舷上部をうすい桜色、煙突鉢巻を白、後部煙突兼マストの下半分をうすい桜色、後部煙突兼マストの上半分は赤色で塗装された。

就役後は、他の同型船5隻と共に青函航路で鉄道車両を輸送する任に就いた。


客載車両渡船化編集

渡島丸型ではもともと、消音器室前後に広大なスペースがあり、そこに5トンコンテナを50個積載する計画があったため、この重量(コンテナも含め約300トン)に配置的にも重量的にも耐えられるよう設計されていた。しかしこの想定重量では通常は定員500名程度が限度とされていたが、船楼甲板上に前部煙突直下から船尾係船作業場直前に至る、総2階建甲板室を、薄鋼板を多用することで、重量を約240トンに抑え、旅客定員650名と乗用車20台の積載を達成した。しかしグリーン船室や旅客用食堂のない簡素な造りだった。


石狩丸は1982年1月6日にこの工事のため函館ドックへ入場し3月17日竣工した。3月31日、函館4岸19時15分発、青森1岸23時05分着の貨物便の166便から再就航し、この折り返し4月1日0時10分発、函館2岸4時00分着の11便から旅客扱いを開始した。この工事中の1982年3月4日限りで津軽丸が終航し、また1980年10月以来係船中であった日高丸は1982年1月6日から3月3日まで法定検査工事を受け、3月4日函館4岸14時10分発、青森3岸18時00分着の52便より復帰した。


終航後編集

1988年7月から9月にかけて北海道 広尾町で開催された十勝海洋博覧会で十勝港第3埠頭で展示公開され、夜間はシップホテルとしても使用された。同年11月、大阪の陸運倉庫会社の酒本商事に4億円で売却され、11月30日尾道に向け函館を出港した。酒本商事は、関西国際空港の工事用ホテルシップとして使用するため、収容人数約800人の個室化や大浴場、会議室、特定郵便局の設置などの改装を施し、1989年秋の完成を予定していた。


しかしこの計画は実現せず、使用されないまま香港の会社に売却された。さらに、キプロスの船会社に売却されて「LADY TERRY」と改称。さらに1990年にはギリシャの船会社「POSEIDON LINES Shipping」に売却され、「LASITHI」と改名するとともにカーフェリーに改造され使用された後、1992年には「SEA HARMONY II」と改称され地中海航路で使用され、さらに2001年には「OLYMNPIA I」に改称されている。2002年に航路休止した後は、ヨーロッパやアフリカの船会社にチャーターされ、地中海・紅海などで使用されたが、2006年6月にインド・アランで解体された。



同型船編集

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