開発
陸軍の兵器研究工場で1900年台初頭に開発が始まった軽機関銃。
コンセプトは「歩兵一人で取り扱える、持ち歩ける軽い機関銃」。
ちなみに「ショーシャ」とは本プロジェクトの中心人物となったショーシャ中尉から来ている。
仕様
連発機構にはブローニング式の反動利用方式を採用。
使用弾薬は当時のフランス陸軍主力小銃と同じ、8mmルベル弾を用いる。今までの主力銃と同じ弾、使えます。
8mmルベル弾を半円形の弾倉に20発まで装填可能。この弾倉でゲテモノの雰囲気を感じたあなたは色々と正しい。が、それは後ほど。
扱いやすいようにピストルグリップを装備し、また銃身は簡単に交換できるような設計となっている。
さ・ら・に。
当時最先端のプレス加工を多用し生産性アップ!
今までの弾が使える・軽くて持ち運びやすい・一人でも使える・連発可能・持ちやすいグリップ・メンテナンスも簡単・何より作りやすい。
ふはははは。完璧すぎるじゃないか!
戦争は数だよ兄貴!生産性は大事だ!
扱いやすい、これ兵器としては理想なり!
で、実際はどうだったの?
現場での評価!?
んなもん最悪に決まってんだろ!。
まだ未成熟なプレス加工を多用したのが裏目に出てすぐ壊れる。
プレス加工は当時はまだ発展途上だったため、信頼性も当然ながら発展途上。
当然故障や破損が多発。
特に厄介なのが半円形の弾倉。
何かにぶつけたらすぐに変形して使い物にならなくなる、変形しなくても残弾数確認用の窓から泥などが侵入して動作不良の原因となる。
銃身の冷却機構も不完全。
そのため撃ちまくるとすぐ動作不良となる。尤もオーバーヒートする前に銃自体がぶっ壊れる方が多かったのでそれほど気になる話でもなかったそうだが。
軽すぎて反動がモロに来るとか、連射のレートが遅い(毎分240発)とかも見逃せない。
そのためアメリカ海兵隊(当時の米国は本銃を7000丁近く輸入したとか)のR・リー・アーメイ軍曹は本銃を試射した後に「フランス人はやっぱり料理を作っていたほうがいい」だの「送り返したくなる」だのと酷評。ちなみにリー・アーメイ軍曹はかの「フルメタル・ジャケット」でハートマン軍曹役を演じた人物である。
その他の米軍兵も「こんな鉄砲もういやだ!」とばかりにルイス機関銃や、はては鹵獲したドイツの銃を使う始末。結局、B.A.R.ことM1918ブローニング自動小銃に置き換えられてしまった。
ただショーシャのアメリカにおける悪評は(そもそもショーシャそのものの出来がイマイチだったことを考慮しても)、アメリカの要求に合わせた無理な改良(ショーシャに対してパワーが過大なスプリングフィールド弾を使用できるようにした。これもブローニング自動小銃同様M1918という名があるためややこしい)が祟っている面は否めないところがあるようだ…
一方のフランス陸軍に於いても3発ずつ撃つなど(あれ?確か日本でもこんな銃があったような…)のあの手この手で故障の確率を下げていたが、さすがに1920年台には後継の銃に置き換えられることとなった。
実は不遇な銃
ショーシャの正式な名前は「FM mle1915」。このFMとは、Fusil-Mitrailleurの頭文字を取ったもので、英語で言うと「マシンライフル」にあたる用語である(マシンガンは仏語ではMitrailleuse)。
そもそもこの銃は、当時まだ火器を載せる余裕に乏しかった飛行機に載せるための試作銃・CS自動小銃を地上用に転用したものである。説明しよう。
第一次世界大戦当時、両軍ともに塹壕を掘り鉄条網を張り巡らし、機関銃を据え付けてしまうとこの防御陣地を突破する方法は無いに等しかった。そんな状況を打破するための手段の1つとして考え出されたのが突撃射撃、マーチングファイアという戦術である。持ち運べるくらい軽い連発可能な銃を全員が持ち、一列横隊を組んで弾丸をばら撒きつつ前進すれば、機関銃手の動きを抑えられ、より安全に相手陣地まで到達出来るのではないか、と考えられたのである。
この戦術を行うにはとにかく兵士も銃も数が必要、だからこそ銃の大幅なコストダウンが求められた。また、前進しながら撃てる腰だめ撃ちで銃を使うことが想定され、銃もそのように設計された。
が、いくら数を揃えても当時で既に毎分500発を誇っていた機関銃には手数で到底敵わず、連射が出来るという特性から機関銃っぽく使った結果、駄っ作の烙印を押されてしまったのである(上記にある様々な短所がその評価を後押ししてしまったのは言うまでもない)。
関連イラスト
関連タグ
L85:海を挟んだあの国の似たような銃。