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武田信廉の編集履歴

2021-05-15 19:08:39 バージョン

武田信廉

たけだのぶかど

武田信廉とは、甲信地方の戦国武将。(1532年?-1582年)

概要

甲斐武田氏第18代当主・武田信虎の子で、1532年(1528年の説あり)に生を受ける。

母は大井の方で、武田晴信(後の武田信玄)や武田信繁の同母弟。

武田二十四将の一人で、後に出家して「逍遙軒信綱(しょうようけんのぶつな)」と号す。


甲陽軍鑑』によれば、骨相が似ていたことから信玄の影武者を務めていた。


第四次川中島合戦で信繁が戦死すると、親族衆筆頭となる。


長篠の戦いで大敗を喫した後、織田軍の残党狩りに遭い、捕らえられて処刑される。


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