概要
1969年1月27日生まれ、和光大学付属中学校・高等学校卒の音楽家。
'90年代初頭、小沢健二と共にフリッパーズ・ギターとして活動し、渋谷系と呼ばれるムーブメントを牽引するも、早々に解散。
その後はソロプロジェクトCornelius(コーネリアス)として活動を開始。
2001年のアルバム「Point」以降は日本におけるエレクトロニカの第一人者として知られている。
東京五輪のオープニングセレモニー作曲担当に抜擢されたが、後述の問題によって後に辞任した。
障害者への暴行・性犯罪
ミュージシャンとしての小山田にまつわる問題が、小学校時代から高校時代にかけて障碍者をターゲットに暴行をしていたという問題。彼が加害を加えた対象には在日コリアンの同級生もいた。
彼のこの過去が明かされたのは、94年と95年に発刊された音楽雑誌での記事のことである。
同記事内にて小山田自身が、当時話題となっていた傷害・監禁致死事件と同レベルのいじめを行っていたと認めており、事の大きさから後に度々問題となっている。
が、度々問題となったのはネット住民の間のみで、彼は長らく何らお咎めもなく活動を継続できた。彼は著名アーティストとコラボし、海外の音楽フェスにも参加。国内ではNHKの番組「デザインあ」の音楽も担当していた。
特に2021年には、東京オリンピック・パラリンピックの楽曲制作に携わったことから、過去に酷い障碍者いじめを行っていた人間を抜擢するのはどうなのか?と、ネットを中心に世界中で炎上する事態にも陥っていた。
小山田は当初は続投を表明し、オリンピック関係者も彼の立場をそのまま維持する(五輪組織委、小山田圭吾の留任を改めて明言 「現在は高い倫理観」と強調)とコメントしていたが、海外での報道もあり批判が更に加熱。
とうとう小山田サイドより辞任が表明された(小山田圭吾さん辞任 組織委、五輪開会式の楽曲変更)。
元アスリートのタレント武井壮は「これ(今回の炎上、辞任)が彼が行ってしまった行為の初めての断罪だったかなと思うので、辞任はやむなしだと思う」(武井壮 小山田圭吾の辞任劇は“いじめ”への「初めての断罪」)とコメントしている。
本件をきっかけに他の余罪も「発掘」される事態となっている(辞任の小山田圭吾に〝極悪前科〟 今度は重病患者を嘲笑インタビュー)。
関係者の対応
- 『ロッキン・オン・ジャパン』:着火点となった鬼畜インタビューを掲載した雑誌。当時この企画に参加したインタビュアーであり、現在編集長である山崎洋一郎は同誌公式サイトに謝罪文を掲載した(小山田圭吾「いじめ自慢」掲載の「ロッキン・オン・ジャパン」編集長が謝罪「その時のインタビュアーは私」)。
- 太田出版:1995年刊『Quick Japan 第3号』に掲載した「いじめ紀行」について謝罪文を掲載(『Quick Japan 第3号』掲載の小山田圭吾氏記事についてのお詫び)。いじめられた側との対談を実行しようという内容。
- ソニー:公式サイト内に掲載していたインタビュー記事を取り下げ「Not Found」に(小山田圭吾、いじめ問題を謝罪するも炎上止まらず…ソニーがページ削除、息子のSNSも炎上)。
- 田辺晋太郎:小山田の年下の従兄弟であり「肉プロデューサー」として活動している人物。従兄弟の辞任記事について「はーい、正義を振りかざす皆さんの願いが叶いました、良かったですねー!」とTwitterで発言し、炎上。コラボしていたヤマサ醤油に波及し、ヤマサ側は6月30日に契約が終了している事、サイトの商品入れ替えで彼が載っているページが残っていた事を発表した(小山田圭吾辞任で「挑発」田辺晋太郎氏を監修起用 ヤマサ醤油が謝罪、人権侵害「容認しない」)。
- NHK:『デザインあ』の放送を見合わせることを発表(小山田圭吾が楽曲制作、Eテレ『デザインあ』など放送見合わせ「一連の報道など総合的に判断」)。
- ゴンドウトモヒコ:小山田が所属するバンド「METAFIVE」のメンバーで、NHK『ムジカ・ピッコリーノ』音響監督。小山田が続投コメントをした当時「偉いよ小山田くん。いい音出してこう!!!!!寧ろ炎上なんか○○喰らえ。」とツイート。削除後、謝罪ツイートを掲載した(騒動拡大! 小山田圭吾“擁護”の「METAFIVE」ゴンドウトモヒコがツイート削除&謝罪)。