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ピルサドスキーの編集履歴

2021-08-16 00:33:39 バージョン

ピルサドスキー

ぴるさどすきー

かつて日本でも活動した牡の競走馬。

※実在の競走馬かつ2021年現在は海外に渡っているため、詳細は専門の資料等を参照して頂きたい。


概要

生年月日1992年4月23日
出生国アイルランド
欧字表記Pilsudski
性別
毛色鹿毛
ポリッシュプレセデント
ココット
母の父トロイ
競走成績22戦10勝

父方の祖父はノーザンダンサーの後継種牡馬の1頭で、日本調教馬でもアグネスワールドビコーペガサスなどの父であるダンジグ。

同じ母親同士の妹に、2002年の秋華賞エリザベス女王杯を制したファインモーション(1999年生、父デインヒル)がいる。


欧米での活動

1994年に欧州戦線でデビュー。

3歳となった1995年7月にようやく初勝利をあげる。


1996年に実力を発揮し始め、米国の芝中距離最強馬決定戦であるブリーダーズカップ・ターフを含めてGⅠを2勝する。

翌1997年に英国のエクリプスステークス、チャンピオンステークスも含めてGⅠ3勝。

キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスと、フランス凱旋門賞でも2着に食い込んだ。


1997年ジャパンカップ

ピルサドスキー1997年限りで引退し、日本JRAに買い取られて種牡馬として来日が決まる。

お披露目会も兼ねた現役生活最後のレースとして、招待試合であるジャパンカップに参戦する事になった。


ところが当日、出走直前のパドックにて放送事故が発生する。

理由は不明であるが試合前にピルサドスキーが馬っ気を起こし、その局部が大型モニターやテレビカメラに中継されたのである。

この有様に馬券購入を検討する客たちは勝負師の定石や嫌悪感を理由にピルサドスキーの分を取りやめる者が増え、3番人気となる。

さらにレースはピルサドスキーが末脚を発揮して1着になるという大いに荒れた試合となった。


競馬評論家の大川慶次郎は自身の著書で、ピルサドスキーが馬っ気を出したのは発情ではなく「俺が一番強い!王様だ!」というアピールを他の出走馬に対して誇示するための、動物行動学的見地に沿った行動であったと推察している。


一連の出来事についてその他詳細は外部サイトや専門誌等を参照していただきたい。


引退後

以上のような大騒動を経て現役を引退し種牡馬入りした。

しかし2001年にデビューした個体が未勝利に終わるなど、仔馬達の成績は軒並み不振のままであった。

2003年9月には母国アイルランドに買い戻され、障害競走の種牡馬を経て現在は事実上の国営牧場にて余生を送っているようである。


関連項目

競走馬

ファインモーション

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