プロフィール
1981年、レイジーのドラマーだった樋口宗孝と同じくギタリストの高崎晃らを中心に結成される。
第一期(1981~1988)
※メンバーは樋口、高崎、二井原実(Vo.)、山下昌良(B.)
高崎の幼馴染だった山下の推薦によって二井原がヴォーカリストとして抜擢され、後に山下も自分のバンドを諦めて参加。
11月25日に1st.「THE BIRTHDAY EVE 〜誕生前夜〜」でデビューを飾る。
翌月浅草でデビューライヴを行うが、レイジー時代とはうってかわって満員の観客は男ばっかりだったという。
1983年からは海外でもライヴを行ったり、アメリカのレーベルと契約を結ぶなど、嘗てのアイドルから世界のギター小僧達のアイドルに成長していった。
第二期(1989~1991)
※メンバーは樋口、高崎、山下、Mike Vescera(Vo.)
二井原がアルバムのレコーディング中に脱退したため、国内外で行われたオーディションで選ばれたのがヴェセーラだった。
その中で作られた8th.「SOLDIER OF FORTUNE」は名実共に'80年代の総括とも言うべき作品に仕上がり、この年にイヴェントではあるが東京ドームのステージにも立っている。
そして1991年リリースの9th.「ON THE PROWL」やMiniAl.「SLAP IN THE FACE」からはテクニカル性よりグルーヴィ性が現れるようになっていった。
第三期(1992~1993)
日本に馴染めなかったヴェセーラが去り、山下も後任にXのベーシスト沢田を推挙して脱退してしまうが、バンドは前作からの路線をベースに新たな道を探り、遂にオリジナル10作目にして自らの名を冠したアルバムをリリース。
沢田の参加共々賛否を呼んだが、この作品はチャート二位を記録し、ライヴでも新規の女性ファンが増加するなど、総合的には受け入れられている。
しかしバックステージ等のトラブルが多発し、バンドは空中分解のような状態に陥った。
第四期(1994~2000)
トラブルを越えて残ったバンドには、山田の同僚だった本間と、彼らの郷里の先輩である柴田が新たに加入。スタイルも大いに変化していった。
しかしこの時期はHR/HM自体もまた冷え込んでいた時期でもあり、セールスもライヴ動員も一時期からは考えられないほど落ち込んでいた。
しかしレイジーの再結成やトリビュート盤の製作などで嘗てのメンバー達と会う機会が増え、活動に行き詰まりかけていたバンドはオリジナル・メンバー再集結へと向かっていった。
第五期(2001~2008)
※メンバーは第一期に準ずる
デビューから20年、遂に再びオリジナル・メンバーが一同に会した。
二井原が歌うデモの存在が噂された「SOLDIER OF FORTUNE」は再集結記念盤「RE-MASTERPIECES」で新たに録音された。
アルバムごとにテイストが変わったり、またライヴも久々の海外公演やディナーショーなど、長きに渡る歴史を感じさせつつも、彼らの新たな魅力を感じさせてくれる。
しかし2008年、バンドは大きな転機に差し掛かる。樋口が病に斃れてしまったのである。
第六期(2009~現在)
※メンバーは二井原、高崎、山下、鈴木“アンパン”政行(Dr.)
2008年11月30日、樋口は春からの闘病の末にこの世を去った。
しかし、バンドは続行を決断。最初はサポートだった鈴木の正式加入後は旧作中心のレパートリーでライヴを行ったりもしたが、2010年には再起をかけたオリジナルアルバムをリリース。
明けて2011年には結成30周年記念の一環として全米ツアーを行い、バンドの完全復活と健在を世に知らしめた。
OBたちの「それから」
- マイク・ヴェセーラはイングヴェイ・マルムスティーンのヴォーカルを担当するも、イングヴェイの当時の嫁との離婚のダシにされてしまう。現在はアニメタルUSAで活動している。
- 本間大嗣と柴田直人は2001年からのANTHEM再結成に参加。現在も精力的に活動している。
- 山田雅樹はアメリカで女性シンガーをフィーチャしたバンドのベーシストとして活動している。
- 沢田泰司は自身のバンドD.T.R.を結成したり、休止期間中及び解散後も細々とプレイヤー活動を続けていたが、様々なトラブルに翻弄され、2011年7月15日に機内内で諍いを起こした件で勾留されていたサイパンの拘置所内で自殺を計り、17日に死亡した。