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藤原兼雅の編集履歴

2022-01-05 19:25:39 バージョン

藤原兼雅

ふじわらのかねまさ

藤原兼雅とは平安時代末期から鎌倉時代初期の公卿。

概要

父は藤原忠雅、母は藤原家成の娘、官位は従一位、左大臣


プロフィール

時代平安時代後期-鎌倉時代
生誕久安4年(1148年)
死没正治2年7月18日(1200年8月29日
官位従一位、左大臣
主君近衛天皇後白河天皇二条天皇六条天皇高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇
氏族花山院家
父母父:藤原家忠、母:藤原家成の娘
平清盛の娘
忠経家経、兼信、兼成、円雅、九条良通

経歴

久安4年(1148年)に誕生、永万元年(1165年)に従三位、仁安3年(1168年)に権中納言に就任、寿永元年(1182年)に権大納言、以降内大臣右大臣に進み建久9年(1198年)に左大臣に就任、正治2年(1200年)に死去。


外部リンク

藤原兼雅 - Wikipedia


関連タグ

朝廷 公卿 平安時代 鎌倉時代 花山院家

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