「キハ58系で運行される急行列車には相当の長距離列車も存在した(関西~九州間や首都圏~東北間等)ため、食堂車かビュッフェの需要もあってよかったのではないか?」
という想定から生まれた架空の形式。
実際には編成出力の確保や床下機器配置の諸問題が解決困難であり、キハ65形の登場でそのめどがたった頃にはもはや国鉄急行列車自体が斜陽の時代に入っていたことから実現することは無かった。
イラストの他、NゲージやHOゲージの改造ネタとしてもよく使われている。
が、国鉄時代であればやはり編成中にキハ65形は必須かなと言うところ。
民営化後は自動車用または漁船用から派生した大出力エンジン(新潟・コマツ・カミンズなど、チューニングにより出力は250PS~500PS程度まで可変)があるため、全車それになっていればエンジン1機のこういう車が1両くらい挟まっていてもさほど性能は落ちないであろう(実際JR東海の快速「みえ」用ではキハ58(換装後出力700ps)がキハ65(500ps)のブースターという逆現象になっていた)。
国鉄時代そうしたエンジンが導入されなかったのは標準化を進めすぎた帰結といえる。実際の所民営化後導入したそれらのエンジンの原設計は1960年代で、日本国内メーカーが海外に気動車を納入する際にもカミンズ製エンジンが指定されることが多かったのに対し、日本国内向けは私鉄向けであっても延々と国鉄指定機種しか使われなかった(大抵中小私鉄ということもあるが)。