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センシティブな作品

この言葉は自由主義、リベラリズムを意味するが、使い方によっては意味が変わってくる言葉である。

 当初の意味としては、変わった新しい事を受け入れようとする寛容な考え方、政治において革新的な傾向をさすことがある。

リバタリアニズム

 自由主義という言葉の本来の意味としては古典的自由主義をさし、自由放任主義かつ個人主義であり、神の見えざる手という言葉で表現され、経済を政府が管理する社会主義等とは対立する考えであった。これは現在のリバタリアニズムになっている。

 例として、アメリカ・リバタリアン党は表現規制から麻薬規制まで一切に反対する。さすがのアメリカ人でも尻込みするのか議席は獲得できていない。

リベラリズム

 近代的自由主義という概念では、古典的自由主義で発生した弊害修正する形で公正という考えが導入され、貧富差における経済的隷属や個人の社会的自由を侵害する偏見差別などの防止のため政府等が積極的に社会に関与するという考えが発生する。一般的にこれがリベラリズムである。代表的な例としては冷戦時代の西欧があげられ、共産主義の拡大に対抗するため社会福祉を整備していた。

 戦争による人員の動員を望まない観点から、共産圏との対立緩和は望んだものの、左翼とは全くの別概念である。憲法9条改憲、天皇制維持でリベラルでも問題はない。

 しかし反共主義が強いアメリカ、韓国、日本などでは容共的とみなされ、保守主義の対義語、罵倒語として混同される傾向がある。

 たとえばアメリカ合衆国の共和党支持者においてこの言葉は国民皆保険などに対して個人の財産権の剥奪であるという批判に用いられることがある。

ネオリベラリズム

 もともとの考え方を再構築し、市場原理を推し進め自己責任を基本に小さな政府、すなわち最小限の福祉しか行わないかわり税金等を削減する仕組みを推進し労働者への保護をなくそうとする新自由主義( ネオリベラリズム )とも言うことがある。

 冷戦末期から支持を拡大したが、リバタリアニズムと違い個人の自由はあまり重んじず、都合に応じて保守主義や国家主義に変節する傾向があったため、不評となり罵倒語として用いられることの方が多くなった。

社会党とリベラル

上記のとおり、本来マルクス主義とリベラルは全くの別物である(むしろ保守とも両立しうる概念である)のだが、上記のように日本では社会党、特に社会党左派の系譜に連なる人々への罵倒語とされることが多い。保守的な論者からは「『保守』になるわけにもいかず、行き場がなくなった左翼たちが逃げ込んだ緩衝地帯にすぎない」(山村明義)、「左翼と呼ばれたくない人たちの自称」(池上彰)、「隠れマルクス主義者」(田中英道)などと評されている。

逆に、安倍晋三のような一般にリベラルと呼ばれない政治家が中道色を強調する意味でリベラルを自称することがある。

「本来のリベラルとは」と再確認を試みる論客もいるが、上記のように時代で違うため、自称・蔑称が入り乱れる状況で、共通概念としてのリベラルを定義することは絶望的と言える。

共産党とリベラル

日本の左派政党である社会民主党はリベラルを称することもあるが、日本共産党は自党が左翼であることにプライドを持っているため、リベラルと自称することは決してない(このことを突っ込まれた池上彰は「共産党はリベラルではない、むしろ保守的」と説明していた)。

中国共産党・ベトナム共産党・朝鮮労働党なども民族主義が強く、もちろんリベラルでない。高齢世代ではソ連とロシア連邦の混同が見られるが、プーチン政権以降のロシアは特に反リベラルな国であり、欧州の民族主義者と親密である。

オタクとリベラル

オタクとリベラル(あるいは左派)は相性が悪い。耽美主義的であり、道徳を超えた芸術を追求すること、兵器等の軍事や国家要素が多いこと、メイド執事等の封建的関係を好むこと、フェミニスト]]と水と油のごとく対立すること、オタク文化が確立した昭和末期は日本で社会運動への「しらけ」が強まっていた時代だったことなどである。

特にニコニコ動画においては、自民が下野した2009年においても住民の大半が自民党支持という状況であった。

逆に初期アニメの作り手世代は学生運動全盛期の世代であり、宮崎駿のようにリベラル~共産党支持が多い。

宗教におけるリベラル

liberalとは単に「自由な」という意味もあり、宗教において「リベラル〇〇」とつく場合、上記の経済、政治上の思想とはかなりニュアンスが異なる用いられ方になる。

一言でいえば根本主義(原理主義)の対義語。聖典の文字通りの文言にとらわれず、文字通り自由に解釈する。

聖典を象徴的に解釈するのは伝統派、保守派にもあるが(カトリック創世記を正典としつつ進化論を認めるなど)、これらと異なり、文献学や自然科学をもとに聖典の絶対性を否定しているという違いがある。

聖典は絶対的真理でも神の言葉そのものでもなく、限界ある人間がつくった文献に過ぎない、という前提のもとで、その中から「神の教え」ととれるものを選び取り、強調する。

「進歩主義(プログレッシブ)」と呼ばれることもあり、古代聖典にありがちな、現代的な価値観からは不十分な人権感覚を否定し、同性結婚の積極的肯定など、現代において進歩的、とみられる価値観と適合的である。

中絶についても、それ自体は避けられたほうが良い、行うにしてもやむをえない事とはするが、各人が選択可能な法的権利としては存在を支持する傾向にある。

宗派とは異なる枠組みであり、伝統的な宗派に所属する信徒がリベラルな宗教解釈を持つ事も多い。現代において、特にキリスト教プロテスタント諸派の中では無視できない勢力となっており、ヨーロッパ等の同性結婚が法的に認められている国ではルーテル派や長老派といった歴史ある教派の教会が宗教的な同性結婚式を執り行っている。

とはいえ保守派も巻き返しており、リベラル派とのせめぎあいが続いている。

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思想

自由 寛容

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リベラルの編集履歴2022/04/04 20:49:47 版