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進化論

しんかろん

生物は不変のものではなく、長期間かけて次第に変化してきたという見解
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概要編集

生物は不変のものではなく、長期間かけて次第に変化してきたという見解、あるいはそれについての議論。

歴史編集

その発想自体は古代ギリシア古代中国などから存在している。例えばプラトンは家畜の飼育から意図的な交配により、親に発現した形質を子供にも発現させることができ、これを繰り返すことで動物の形質を改良できると唱えた。これがいわゆる遺伝に関して言及したものと指摘される。


ヨーロッパでは19世紀前半までに地質学の研究が進み、太古の地層から発掘される生物の化石は単純で原始的であり、現生に近づくにつれ複雑で高等な形態を持つようになる事が経験則として積み上がっていた。


フランスの博物学者ラマルクは、個々の生物が環境に応じて体を変化させ、変化の一部がその子孫に継承されて生物は「進化」していくと考え、用不用説(ラマルキズム)を唱えた。ラマルキズムは個々の生物に進化の主体を置くことから直感的にわかりやすく、後述のダーウィンの進化論が発表された後も強い影響力を持ち、定向進化説などダーウィンの考えとの折衷も試みられた。現代進化論(ダーウィニズム、総合説)への批判の多くは、ダーウィンの考えを誤解または曲解しており、実際にはラマルキズムへの批判になっているケースが少なくない。


現代進化論編集

現代進化論の直接の始祖となったのは、英国の地質学者チャールズ・ダーウィンである。


ダーウィン


ダーウィンの進化論(狭義のダーウィニズム)は、「生物は様々な変異した個体を産むが、環境に最も適した個体だけが子孫を残す」という「適者生存」という自然選択のみを原動力として説明したものであったが、20世紀以降、ダーウィニズムはメンデルによって創始された遺伝学の知見、生態的隔離などの生態学の知見も取り込み、現代進化論(すなわちネオ・ダーウィニズム、生物進化の総合説)へと発展した。


現代進化論の見解によると、生物進化はトップ画像の「人類進化の行進図」のように単線的に進むものではなく、厳密には枝分かれしたり(生殖的隔離や生態的隔離)合流したり(遺伝子の水平移動や共生)しながら進む過程であり、網の目のように描かれるべきものである。


進化論と宗教編集

過去には創造論を信じているクリスチャンの中で進化論を受け入れるのにかなりの軋轢があったことが知られている。


もっとも、キリスト教においては、現代でも進化論を否定するのは聖書を文字通り一字一句真実であると信じているプロテスタントの一部だけである。現代のカトリックでは、創造論を「世界の起源(ビッグバン)や人間の魂の創造が神によってなされた」として捉えられており、ローマ教皇も肉体の進化は認めている。


一方でイスラム教圏では現代でも創造論の影響力が強く、ポケモンの進化ですらも禁忌としての扱いを受け、販売が規制された場所もある。世俗的なムスリムは、コーランの記述を文字通りではなく比喩として捉え、進化に神が関わった(古い地球の創造論)と考えることによって、科学と信仰の折り合いをつけている。


これらについては宗教があまり関係ない進化論否定論者も含めて分類学上突然現れた(ように見える)系統や、あまりにも完璧すぎる擬態、ツノゼミ科の無意味に見えるディスプレイ、あるいは有毒生物や寄生生物の持つどれか一つでも欠ければ自分が死にかねない毒への適応や寄生システムなどから「何らかの高位存在が最初から制作しなければあり得ない現象」と主張することがある。

しかし、その多くは他の無害なものを取り扱う方向で進化していたものがたまたま毒への適応にも転用できた可能性や、現代にも残る人間の目から見ればなんとも中途半端で隙が多い生態や擬態方法、あるいは意味の分からない外観(それこそツノゼミがこれにあたる)を持つ生物の存在、何より化石にならない生物の方が圧倒的に多いこと(いわゆるミッシングリンク)を見落としているか意図的に無視しており、現代の学会ではあまり重要視されていない。


進化論(ダーウィニズム)に関する誤解編集

「変化するものが生き残る」のか?編集

ビジネスや政治の場では、ダーウィンの名言として「進化で生き残るのは、強い生き物でもなく、賢い生き物でもない。激しい変化にいち早く対応できた生き物が生き残るのだ」という言葉が紹介されることが多い。小泉純一郎が主導した「聖域なき構造改革」では改革のスローガンとさえ扱われた。


実のところ、ダーウィンはそのようなことは言っていないし、ダーウィンよりもむしろロシアの生物学者カール・ケスラーの考えを反映していると指摘されている。この考え方を紹介した経営学者の意見が、いつの間にかダーウィンが言ったものとされるようになってしまったらしい。

なお、更にこの言葉の起源を遡ると、19世紀のロシアの無政府主義者によるダーウィンの進化論の解釈であり、その際のニュアンスは「自発的に他者と協調出来る集団≒人間であれば無政府主義社会を築き存続させる事が出来る集団こそ生き残る」というものである。

その後、20世紀前半のアメリカの自由主義経済学者が自著で引用して広める事になった。(この時点で、この言葉の元々の起源までは言及されずにダーウィンの言葉扱いされている)

要は、「政府など要らない」と主張する者が言い出し「政府の存在は許容するが政府の機能は小さければ小さいほど良い」と主張する者が広めた言葉なのである。

確かに、ある意味で「小さい政府」を志向している面の有る「小泉改革」にふさわしいとも言える。これを小泉改革のスローガンにした者が、元々はどんな起源の言葉だったのか知っているのかは別問題だが


そもそも、上記の考え方では、多様な進化をとげた過去の生き物たちの多くが滅びた一方、生きた化石が現代まで生き残っていることが説明できない。


ダーウィンの考えでは、進化で生き残る生き物は、強いものでも賢いものでも変化するものでもない。変化した環境に対してたまたま都合のいい形質を得た生物や、たまたま周囲の環境が変化しなかった生物が生き残る、要するにただ、運で決まるのである。進化論から何かの教訓を引き出そうと考えるのが間違いなのだ。


サルは人間に進化するのか?編集

進化論に関する疑問として良く聞かれるのが、「サルもいつか人間に進化するのか?」というものである。この疑問の根底にある、進化に目的があるとか、進化は決まった方向に進むものだという発想は、ラマルキズムやその流れをくむ定向進化説の考えであり、ダーウィニズムやその流れをくむ現代進化論の考えではない。


サル目(これまででいう霊長類)が共通して知能を発達させ、社会生活を送り、二足歩行し、道具を使う方向へ進化しているわけではなく、もともと知能を発達させる傾向にあったサル目の中でたまたま草原へ出て行った種が適応の過程で二足歩行と前肢のより自由な運動を獲得し、元からある程度発達していた知能や社会性が合わさって道具の作成と使用や周囲の環境の整備を高いレベルで行う形質を特徴とするヒト亜族に分化したに過ぎない。


人間は他のサルと共通の祖先から進化し、枝分かれした種である。つまり現代のサルは、人間が進化する前の祖先ではない。ゴリラやチンパンジーは、既に人間と違う方向に進化したので、人間に進化することはないのだ。

もっとも、これらの種が草原へ出て言った場合は収斂進化の結果人間と同様の形質を獲得することは否定できないが、それはサル目以外の生物にも同様のことが言える。

逆に草原へ出たサル目の類人猿が四足歩行に回帰し(実際、一部のヒヒやパタスモンキーなどは四足歩行でかなり草原に適応している)、チンパンジーがネコ科のような待ち伏せ型の肉食生物に進化したり、ゴリラがゾウやサイのようにフィジカルで他種を圧倒する大型草食生物に進化していくことも同様にあり得るし、何なら仮に時間を巻き戻して太古の地球で森を出たサル目からやり直したとしても同様にヒトへ進化していく保証すらどこにもないのである


pixivにおいて編集

このタグの付くイラストとしては、「人類進化の行進図」のようなものもあるが、「進化録」系(絵師一年進化録など)が多い。


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