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郷御前の編集履歴

2022-05-10 06:26:23 バージョン

郷御前

さとごぜん

郷御前とは平安時代末期の女性で源義経の正室。

概要

郷御前とは平安時代末期の女性であり、源義経の正室である。義経との間に一人娘がいる。

義経の正妻だが、妾の静御前の知名度が高く(静御前が都で有名な白拍子であるのに対し、彼女は鎌倉の有力武士の娘(ただのお嬢様)であるため)、知名度が低いという不幸な女性である。


生没年は1168(仁安3)年~1189(文治5)年。


武蔵の豪族、河越重頼の娘。河越氏は「坂東八平氏」と称される坂東平氏の名門・秩父党の嫡流であり、武蔵の豪族では最大の規模を持っていた。

母は源頼朝の乳母、比企尼の次女であり頼朝の嫡男・頼家の乳母である河越尼。なお姉の娘が義経の異母兄・範頼の正室となっている。


生涯

1184(元暦元)年9月、頼朝の代官として京に駐在していた義経に嫁ぐ。

この後1年の間で、屋島壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした義経は、1185(文治元)年10月に頼朝と断交し追われることとなるが、郷御前もこの逃避行に随行した。

一方叛逆者の親族となってしまった重頼は、同年11月に所領を没収され、12月に嫡男重房と共に殺害されてしまった。


2年に及ぶ逃避行の後、1187(文治3)年に奥州藤原氏の下へ赴く(その間文治2年に女児を生んでいる)が、文治5年閏4月30日、頼朝の圧力に抗しきれなくなった奥州藤原氏当主・藤原泰衡が義経一党が住む衣川館を襲撃。義経は郷と娘を殺害したのちに、自身も自害した。


なお河越氏は、河越尼に本領である河越荘(現埼玉県川越市)が安堵され、命脈を保った。



静御前が有名で影に隠れがちだが、義経が落ち目にあっても愛を貫きとおし、愛する夫と娘と共に死ねたことがせめてもの救いだろうか。



大河ドラマ『草燃える』では

演:宮地真由美

小菊という名前で登場。静御前の影に隠れてあまり目立たなかったが、義経の正妻として要所要所で描写が描かれている。義経を一途に愛し、義経が落ちぶれても黙って付き添いついていくなど、とても一途で献身的な女性。


頼朝や父の思惑で義経の妻となるが、義経への愛は本物であり、義経が鎌倉に追われるようになって、父から離縁して家に戻るように言われるが、「戻りませぬ」とあくまで義経に寄り添うことを選んで姿を消す。そのため父親は微妙な立場に追い込まれて、隠居することで家の立場を守った。


その後、義経を追って娘を連れて奥州に赴き、再会を果たしたが、奥州藤原氏に追いつめられた義経と共に死んだ。


義経の死後、頼朝が政子に「小菊も共に死んだらしいな」「娘も四つになっていたらしい」と話して死を悼んでいて、政子も小菊の一途な生き様に思いを馳せていた。



大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では

演:三浦透子

という名前で登場。武蔵の豪族・河越重頼の娘。比企尼の孫娘で、比企能員の姪。義経の信濃への出発前夜、源範頼とともに比企館に招かれた義経に見初められ、一夜を共にした。ちなみに義経はそのまま寝過ごしてしまい、信濃行きに同行し損なうという大失態を演じてしまった。その後、義経の妻となるが、義経を巡って静御前と対立する場面も描かれている。



関連タグ

源義経 静御前

草燃える 鎌倉殿の13人

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