史実における袁術
後漢の名族袁氏の生まれ。字は公路。袁紹は従兄弟または異母弟と伝わる。
袁紹とは宮廷を牛耳っていた宦官の掃討や、董卓の征伐では協力するが、後に対立する。曹操や劉表を取り込む袁紹に対抗して、袁紹を恨む公孫賛と結んだり、曹操に追われていた呂布を保護したりした。しかし配下の孫堅が敗死したり、公孫瓚や、自身が率いる軍も敗れるなど振るわなかった。それでも、支配者陳温の死によって混乱していた揚州を強引に乗っ取り、更に孫堅の遺児孫策の働きもあって勢いを取り戻す。
その後、皇帝劉協の窮状を聞いて後漢の命運は尽きたと判断、西暦197年に皇帝を自称して仲王朝を建国した。しかし実態がまったく追いついておらず、従う諸侯はほとんどいなかったどころか、曹操によって逆賊に指定されてしまう。
加えて袁術自身の極端な贅沢とそれによる重税のため勢力は衰退し、離反者も相次いだ。この時孫策も離反している。その後は呂布との関係を強化しようと婚姻の使者を送るが、断られた上に使者を殺され、呂布とは敵対関係になる。結局曹操と対抗するため両者は同盟関係になるが、かつての呂布の裏切りによる不信感から連携がとれずに連戦連敗する。結果呂布は滅び、袁術も滅亡の瀬戸際に立たされる。
この時袁術は、いずれ袁紹と曹操が戦うだろうと判断し、大軍を擁する袁紹を頼ることに決める。しかし199年、敗走中に病で急死した。一説には蜜を欲しがったが、無いと知って怒りのあまり血を吐いて悶絶死したと伝えられる。
内政手腕の無さに加え、皇帝を僭称したことから、正史の評価は著しく低い。
とはいえ、(自滅したとはいえ)最大勢力を誇った時には河北を制しつつあった袁紹と並ぶ勢力を築き上げたり、陸蹟(陸遜の親族)の孝行息子ぶりを評価しているなど、必ずしも家柄だけの無能であったとは言い切れない事は彼の名誉のために付記しておく。
ちなみに孫策から『伝国の玉璽(歴代王朝に代々伝わる皇帝の印)』を手に入れたという話は後世の創作である。
創作物では上記のような絶頂から一気に没落というコンボをかましたせいもあり、ほぼ確実にネタキャラ化される。仕方ないね。
創作作品において
コーエー・三國志シリーズ
ネタ君主の一角として「陛下」の愛称で親しまれている。ただし、能力的にはネタ一辺倒というわけではなく知力方面がそこそこ評価されてることが多いので阿斗ちゃんの能力よりはよほどマシ(また、作品+シナリオによっては玉璽によって魅力が強化されてる事もある)。
蒼天航路
概ね演義のイメージを踏襲しているが、事あるごとに猿呼ばわり(特に呂布など)されるが最後は本当に猿化してしまう。
「真・恋姫†無双」
美羽を参照。