プロフィール
生年月日 | 1997年5月12日 |
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死没日 | 2015年3月7日(18歳没) |
英字表記 | Oriental Art |
性別 | 牝 |
毛色 | 栗毛 |
父 | メジロマックイーン |
母 | エレクトロアート |
母の父 | ノーザンテースト |
生産 | 社台コーポレーション白老ファーム(北海道白老町) |
調教師 | 田所清広(栗東) |
主戦騎手 | 池添謙一など |
競走成績 | 23戦3勝 |
獲得賞金 | 3726万6000円 |
誕生と競走馬時代
オリエンタルアートは1997年5月12日に白老町で生を受けた。父であるメジロマックイーンは顕彰馬にも選出された稀代のステイヤーであり、母父ノーザンテーストも社台最大の功労馬として専用の馬房とパドックが与えられた偉大なる種牡馬である。
血統面は充分に期待を寄せられる血統と言える。事実彼女はメジロマックイーン産駒が走り始めた頃に誕生した競走馬であり、社台グループも力を入れていたころである。ところが実際にはメジロマックイーン産駒はなかなか勝てず、また血統面でも晩成の極端なステイヤー血統であったことから、クラシック戦線で活躍を求める生産者、馬主から敬遠され始めていた。
このためか、オリエンタルアートも中央でデビューするもダートを走り、ある程度成績が上向いたところで芝を走らせてみたが活躍できなかった。
最終的に23戦を走りダートを3勝したのみで現役を引退、繁殖牝馬となるのだが、彼女はその最後に勝利したレースの日、同じ競馬場のメインレースを勝利したある競走馬によって救われ、同時にその競走馬を救うことになる。
また、彼女の主戦騎手が池添謙一騎手であったことも、ある意味では運命的な出会いだったのかもしれない。
繁殖牝馬時代
評価されない血統。評価されていなかった、最愛の相手との出会い
2002年7月7日のレースを持って競走馬を引退、故郷の白老ファームで繁殖牝馬として登録されたオリエンタルアートであったが、この時期にはメジロマックイーン産駒の評価は完全に固まっていると言っても良い状態であった。重賞馬は僅かながら輩出はしたがGⅠはおろかクラシック戦線にすら名乗りを上げることが満足にできず、種牡馬としての評価は極めて低下していた。それはそのまま産駒の繁殖に対する評価にも直結し、オリエンタルアートは引退時点において繁殖牝馬としては最低のランクに据えられていたとされている。事実、初年度産駒の成績次第では繁殖牝馬の入れ替えのために外部へ売却される方針であり、そのため初年度の種付け相手は、その売却を避けるためならば相応の良血を選ぶところであった。
が、この時彼女が種付け相手として選ばれた相手はステイゴールド。まだ種牡馬生活2年目であり、社台グループにも入れず、日高の中小生産牧場向けとしては人気であったが、社台グループが抱える良血牝馬との配合など考えられないような種牡馬であった。現在でこそこの両頭は伝説的な配合として知られるのだが、当時は凋落にもほどがある組み合わせだったのである。
それでもオリエンタルアートにとっては血統面から行けばこれでも充分すぎるほどの良血との配合である。ステイゴールドは父サンデーサイレンス、母父ディクタス、母母父ノーザンテーストという社台グループにとって当時最高の配合であった。一方でヘイルトゥリーズンから続く気性難の極致というべき血統に、これもまたルール絶対主義の気性難であるディクタスの組み合わせであるため、気性難だったメジロマックイーンの産駒であるオリエンタルアートに種付けしたら恐ろしい気性難が生まれるのではないかという懸念があったという。
それでも配合は実行に移された。同じ白老ファーム出身の縁もあったが、同時にステイゴールドとメジロマックイーンを管理した池江調教師の息子が調教師デビューするため、その開業祝いとして縁の深い2頭の配合をプレゼントするという意図もあったという。
こうした流れで、オリエンタルアートはステイゴールドと配合し無事に受胎。そして誕生したのが、後に黄金の血統と言われるステイゴールド産駒としての旅路の第1歩を突き進むこととなるドリームジャーニーであった。
血統概念を破壊する逆襲。
ドリームジャーニー出産後、オリエンタルアートはダンスインザダーク、クロフネ、ネオユニヴァースと種付けし、その全てを受胎、無事に出産するのだが、3回目の出産後、遂にデビューしたドリームジャーニーが新馬戦から2連勝。初重賞こそは逃したが、朝日杯FSを後方からごぼう抜きする驚異的な末脚を発揮して快勝する。それはステイゴールド産駒初のGⅠ制覇のみならず、メジロマックイーンの子孫としても初めてのGⅠ勝利となった。
だがこの勝利は単純にステイゴールドの産駒が勝利しただけに留まらない。ステイゴールドは晩成型の中長距離場であり、メジロマックイーンは晩成寄りの完全なるステイヤーである。そのような血統背景を持つドリームジャーニーが、2歳牡馬の頂点を決めるマイルGⅠを勝利する。それはそれまでのステイゴールドの種牡馬としての概念のみならず、メジロマックイーンの血統常識をも破壊する物であった。
これにより、オリエンタルアートは白老ファームから売却されるという事態を回避することとなる。もしここでドリームジャーニーが勝っていなければ、競馬史は大きく変わっていた事、疑いようもない。
史上最強三冠馬の三顧の礼を拒む。
ドリームジャーニーの勝利によって繁殖牝馬としてのランクが急上昇したオリエンタルアート。そして2008年の繁殖シーズンにおいて、ドリームジャーニーを管理していた池江調教師から種付け相手のリクエストが行われる。それはサンデーサイレンスの最高傑作として名高い三冠馬ディープインパクトであった。ステイゴールドが種付けした結果ドリームジャーニーほどの怪物が生まれたのである。もしディープインパクトを種付けしたらどれほどの競走馬が生まれるであろうか。そのように考えてのリクエストであったという。またこの時期のディープインパクトはインブリードが厳しい相手を除けば殆どの良血牝馬との配合が行われていたこともあって、オリエンタルアートが指名されたのもある意味必然だったのである。
こうして彼女はディープインパクトとの配合に臨むことになるが、ここで彼女は、自分の気に食わない事には頑として譲らなかったメジロマックイーンの血を存分に発揮することになる。何と3度も種付けが行われたにもかかわらず、その全てで受胎しなかったのである。流石にディープインパクトにとっても初の種付けシーズンであり、他の牝馬への種付けの関係もあってこれ以上は行うことができず、白老ファームは頭を抱えることとなる。
金色の暴君誕生
彼女ほどの繁殖牝馬を空胎のままにはできなかったため、白老ファーム側は4度目の発情期が訪れたのを確認して、半ば受胎率の低い競走馬の駆け込み寺の様な立場になっていたステイゴールドにオファーを送る。これを受けステイゴールドはオリエンタルアートと種付けを行ったところ、なんと1発で受胎した。
流石に受胎した時期が遅くなってしまったこともあり、出産には帝王切開が必要となり、そのため産まれてきた仔馬は身体も小さかった。しかもステイゴールド似であろうと思われていたその仔馬は母オリエンタルアートにそっくりであったという。これまで彼女は配合相手の特徴をよく引き出す、見た目もそれに準じた馬を出してきたため、母親に似た馬の誕生はどう判断すれば良いのか分からなかったという。
まさかこの仔馬が後に、日本競馬史上でも最強の競走馬の候補として名を挙げられる三冠馬オルフェーヴルとなるとは、この時は誰も想像だにしていなかった。
因みにディープインパクトとの配合自体はオルフェーヴル出産後に実施され、今度こそ受胎。此方も無事に出産はしたのだが、勝ちあがることなく2戦で引退し繁殖に回された。
ベストカップル
ディープインパクトとの配合の後、ドリームジャーニーがグランプリを連破したこともあってステイゴールドに配合相手を固定されることとなる。通常では配合相手が完全に固定されることは殆どないに等しかったのだが、少なくともオリエンタルアートにとってステイゴールドは間違いなく最高の相手であった。何よりもこのメジロマックイーンの娘はこの小柄で気性難の極致と言える相手にベタ惚れしていたという。彼女は子を出産してから1週間から10日ほどで自身に種付けにやってくるステイゴールドと逢うことを待ち侘びており、彼に逢えると思い切りテンションが上がっていた。一方のステイゴールドは彼女の事をどのように考えていたのかは不明であるが、少なくとも彼女の事を大事に扱っていた。何しろステイゴールドは種付けした繁殖牝馬の顔はすべて覚えていて、蹴り癖や噛み癖のある牝馬に対しては慎重に対処していたというほどの記憶力の持ち主であり、オリエンタルアートはそれに該当しなかったのも幸いした模様。なお蹴り癖が酷かったことで有名だったのは同じメジロマックイーン産駒のポイントフラッグであり、シロイアレの母である。
そしてオルフェーヴルが三冠馬となり、その翌年には同じ母父メジロマックイーンであるゴールドシップがクラシック二冠を達成したことで父ステイゴールドと母父メジロマックイーンの配合はステマ配合或いは黄金配合と称され一躍ブームとなった。こうして数多くのメジロマックイーン産駒の牝馬がステイゴールドと配合するためにかき集められ、活躍できず埋没してしまうのではないかと危惧されたステイヤーの血は、日高の中小生産牧場にとって助け舟となったステイゴールドによって救われることとなる。というかかなり多くの牝系血統がこいつとこいつの息子たちによって救われていたりする。
しかしながらステマ配合を行うために集められた繁殖牝馬たちは皆高齢となっており、本来の適齢を過ぎてしまった馬も多かったことから、ゴールドシップを最後にステマ配合の大物は誕生しなかった。
これにはオリエンタルアートも該当するが、それでも彼女の子供たちは驚くべき程高い勝ち上がり率を発揮しており、また皆個性的であったこと。兄たちの活躍もあって人気も高く、種牡馬になったり繁殖牝馬としても高いランクを与えられるなど大事にされることとなった。
一方のステイゴールドは種牡馬としての適齢期を過ぎながらもなおクラシック戦線に産駒を送り出し、古馬となってもGⅠを戦い勝利する競走馬を輩出し続けたため、或いはサンデーサイレンスを超えるのではないかと期待されるほどの名種牡馬となっていた。
最愛の夫の死。そして・・・
2015年。既に繁殖牝馬としての適齢期は過ぎていたオリエンタルアートであったが、ステイゴールドとの黄金配合はなおも堅調であり、当然のように今年もステイゴールドとの配合を前提として準備をしていたという。しかし2月5日、そのステイゴールドの急死の報が飛び込んだ。
死因は大動脈破裂。現役種牡馬の死因としては決して珍しくはないとはいえ、あれほど頑健で、20歳を超えながらも若々しい馬体を保っていたステイゴールドが死亡したのである。サンデーサイレンスの後継種牡馬としては長命な方ではあったが、それでもその死はあまりにも早かった。
白老ファームにとっては別の問題もあった。オリエンタルアートは繁殖牝馬としての適齢期を超えており、衰え知らずのステイゴールドの種だからこそやっていけた面を否定できなかった。このため他の種馬では相性面を今から探るのは難しかったのである。それでも何とか相手を探そうとしたのは、それだけ彼女の繁殖牝馬としての質は高く評価されていたからであった。
だが彼女はメジロマックイーン産駒である。父譲りの納得のできないことに対して、決して譲らない姿勢はこの時にも発揮された。彼女は3月4日に牝馬を出産。その子に母親としての愛情をたっぷりと注いだ3日後、3月7日に死亡したのである。死因は出産により発生したと思われる子宮穿孔による腹膜炎であった。彼女はステイゴールド以外の種牡馬から種付けされることを拒絶するかの如く、彼との最後の仔を守り抜き、そして無事を確認してから彼の旅路を追いかけたのだった。
オリエンタルアートの遺体は火葬されたのち、白老ファームに埋葬される。その墓は簡素な物であり、一緒にステイゴールドの母として知られるゴールデンサッシュの墓とまとめられているのだが、ただ1つ、彼女の骨壺には他の骨壺には本来納められる筈がない物が納められていた。ステイゴールドの鬣である。繁殖牝馬として、ステイゴールドただ1頭に尽くし、そして最期まで付いて行った彼女には、生まれ変わってもステイゴールドと共あることを関係者に願われたのである。