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黄梅院の編集履歴

2022-10-03 08:25:42 バージョン

黄梅院

おうばいいん

黄梅院(天文12年(1543年) - 永禄12年6月17日(1569年7月30日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。メイン画像左の人物。

概要

武田信玄と正室である三条夫人(三条の方)の長女で、北条氏政の正室。武田義信は同母兄、武田勝頼は異母弟。同母妹は見性院真理姫(真理姫は異母妹説もある)。異母妹は桃由童女菊姫松姫


生涯

甲斐国の生まれ。今川家武田家後北条家甲相駿三国同盟のために、天文23年(1554年)12月、12歳で北条氏康の嫡男・氏政の元に嫁ぐ。その輿入れ行列は、一万人ものお供の者が付き従い、大変豪華であったと伝えられている。また、信玄は彼女のために弘治3年(1557年)の11月には、安産の神である「富士御室浅間神社」に安産祈願をしており、子煩悩であったことが覗える。

弘治元年(1555年)に新九郎(夭折)、その翌年末に芳桂院を産む。永禄5年(1562年)に、嫡男・氏直を出産し、8年に氏房(氏房の母は黄梅院以外の女性という説もある)、さらにその翌年に竜寿院を産むなど夫婦仲は良好で、彼女の生涯は順調かと思われた(北条直重直定も黄梅院の子と言われているが、異説もある)。しかし、永禄11年(1568年)12月13日、父の信玄の駿河国進攻により三国同盟は破綻(兄・義信はこの過程で信玄に廃嫡される)。旧説ではこの時に離縁させられたと言われていたが、平成31年(2019年)に、黄梅院が離縁されたというのは1970年代にとある郷土史家が史料を誤読したことによって生み出された間違いに過ぎないとする論文が出され、その後彼女が武田家に戻っていないことを裏付ける研究も出されたことから、現在では離縁されずに氏政のいる小田原城で亡くなったと考えられている。


永禄12年(1569年)6月17日、27歳で死去した。


戦国大戦において

○○○の小さい男は

両親である信玄・三条夫人と同様に、武田家の武将として「1570 魔王上洛す」から参戦。

ゲーム上では、『器の小さい男ね』(計略使用時)や、『こんなもの?残念だわ』(虎口攻め成功時)という台詞から気の強いイメージが取れる。


スペックは、コスト1 武力1/統率4(Ver1.1x「魔王上洛す」までは武力2/統率3)の槍足軽で、特技は「魅力」。

母親同様、武田のコスト1帯を支える一人である。


持ち計略である「挑発」は、範囲内に居る敵軍を、「黄梅院に向かって誘導させる」ように仕向けられる。

恭雲院とはまた違った方向性で敵軍の超絶強化をいなしたり、行ってほしくない方向(自城や大筒)に敵軍が向かうのを防ぐのに一役買ってくれる。


「器の小さい男は、お呼びじゃないの」


関連タグ

戦国時代 甲相駿三国同盟

武田信玄 三条夫人 北条氏政

北条氏直 芳桂院 竜寿院

武田義信 武田勝頼 見性院 真理姫 桃由童女 菊姫 松姫

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