概要
南海電気鉄道グループに属するバス会社で、本社は和歌山県新宮市に置く。
前身は1943年に設立された「熊野交通」と1984年に設立された「御坊南海バス」で、両社が2020年1月に合併して誕生した。
南海グループ統一の社章を用いず、八咫烏をモチーフにした独自の社章を使用している。
路線バスはJR新宮駅・紀伊勝浦駅を拠点とする旧熊野交通系の路線と御坊市をエリアに持つ旧御坊南海バス系の路線に分かれている。
高速バスは東京と和歌山市駅を結ぶサザンクロス和歌山号を運行している。ちなみに御坊南海バスからの引き継ぎ。
なお、かつて御坊南海バスは大阪と白浜を繋ぐ「南海白浜急行バス」の一部であり、大元は大阪府の路線を管轄する南海バスが電鉄直営の「南海電鉄バス」だった時代に南海電鉄と資本関係が無いにもかかわらず「南海バス」を名乗っていた事業者である。
ややこしい経緯だが、こんな名前だから南海電鉄に目を付けられたのか、この初代南海バス時代の1960年代末期に南海グループの傘下となり、長距離バス会社「白浜急行バス」と合併して南海白浜急行バスを経た後、観光部門を分離し長距離路線の一部を廃止して御坊南海バスとなった。
白浜急行バス当時の観光部門は和歌山南海観光バスを経て他社(クリスタルグループ)に譲渡されたが、御坊南海バス自身も観光バス事業を始めており、この和歌山南海観光バスと同時に大阪の「南海観光バス」もクリスタルに譲渡されたため、以後は岸和田市内に観光バス事業所を開設し、南海グループの観光部門を担っている。
長距離路線は大阪~白浜の直行便が消滅(この便はルートが違えども後に近鉄グループで南海も株主である明光バスと、南海子会社の和歌山バスが阪和自動車道を経由する高速バスとして開設し、後に和歌山バスが撤退したものの現在も明光の路線として存続している)、和歌山~白浜、和歌山~御坊と短縮された後、末期には和歌山市駅~湯浅に短縮された(湯浅側は、同社の湯浅駅~権保橋線とは接続しない別の停留所発着)が、2009年に完全廃止されている。
ちなみに熊野交通も観光バス部門を有していたため、両社が一つになったことで南海グループの観光バス部門の総合窓口的な役割を一括で担う立場となった。
また近年、高野山ケーブルや南海本線などが災害で不通になった際に、南海バスと共に代行バスを手配しているのも、同社が観光バスを保有し大阪府内にも事業所を持つが故であろう。
車両
大半が日野自動車製で、少数三菱ふそう・いすゞ・日産ディーゼルも加わる。
独自カラーを纏っているが、南海バスから移籍してきた車両については南海バスカラーのまま南海ロゴを消して社章を取り替えて運用している。稀に南海バスカラーのオレンジ部分が熊野交通色の黄色に塗り替えられた芸の細かい車両も存在する。
観光バス車は、かつての南海観光バスカラーと同じカラーリング。熊野交通の独立時のみロゴが「NANKAI」ではなく「KUMANO」だった点、CI導入によりロゴの字体が変わったところを除けば、ロゴの文字も同じである。
高速バス「サザンクロス」は南海バスと同一カラーリング。
その他
関連会社の熊野観光開発を通じてエリア内にある瀞峡(「どろきょう」と読む)のウォータージェット推進による遊覧船事業を行っていた。
元々は熊野交通の前身の一つだった熊野川飛行艇と言う船会社によるプロペラ推進船運行だったが道路整備によりウォータージェット推進の遊覧船に転換している。更に言えばこうしたいきさつから長らく熊野交通の直営であったが、熊野御坊南海バス成立前に熊野観光開発を設立し、そこに移管したのだった。
ただ、2011年9月の台風12号がもたらした紀伊半島大水害以後は、川底に土砂がたまりやすくなってしまっていたためユンボを使っての川底ざらいを行うことで何とか航路の維持を行ってきたものの、費用や人材確保の点で難しくなっていったことに加え、COVID-19の影響もあり、2020年4月12日の運行をもって運休となった。
2020年12月1日、事実上の事業継続を断念、これにより瀞峡の遊覧船は同年12月31日限りで事実上廃止された。もっとも、熊野観光開発サイドは、「川底ざらいは行政に助けを求めていく。遊覧船事業は再開を引き受けて下さる方を探す」とし、復活に一縷の望みをかけていくとのこと。
なお、瀞峡ウォータージェット船の休止を受けて、日本国内の「航路で繋げることが出来る(各都道府県間を行き来出来る航路が存在する)都道府県群」は事実上東西に分断された(参照)。
また、南海グループの有する公共交通機関による三重県への乗り入れが無くなっている。