プロフィール
生年月日 | 1982年2月9日 |
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身長 | 159cm |
血液型 | AB型 |
出身地 | 神奈川県座間市 |
職業 | 歌手、女優、作詞家、YouTuber |
所属事務所 | Rojam Entertainment、TK state、エージーコミュニケーション、ミュージックトライブ(1998年4月〜2001年7月)、AMITY(2002年〜2004年)、エイベックス・マネジメント(2005年〜) |
レーベル | SMEJ Associated Records/TRUE KiSS DiSC(1998年〜2001年)、avex trax(2005年〜) |
愛称 | あみ~ゴ、亜美ちゃん |
来歴
1998年-2001年 : ソニー時代
1998年2月、『ASAYAN』(テレビ東京)の『ボーカリストオーディション・ファイナル』の最終電話投票審査で304万140票中80万2157票を集め1位となり、小室哲哉のプロデュースでの歌手デビューが決定。同年4月、番組内でSMEJの丸山茂雄代表取締役社長の許へ小室と訪ね、丸山はその場で同社からのCDリリースを快諾。所属事務所は1997年まで小室のマネジメントを担当したエイベックス子会社のプライムディレクション内「TKルーム」のマネージャーが設立したサテライトポイントグループのエージーコミュニケーションに決まった。小室の提案により本名の鈴木亜美ではなく、芸名「鈴木あみ」となった。
1998年7月1日にSMEJ Associated RecordsのSony Recordsレーベルからシングル『love the island』でCDデビュー。「あみ〜ゴ」(=アミーゴ)の愛称で若者から人気を集め一躍アイドルとなった。また、同シングルはオリコン集計では28万枚以上の売上を記録するヒットとなった。その後、9月発売の2ndシングル『alone in my room』は35万枚、11月発売の3rdシングル『all night long』は39万枚、12月発売の4thシングル『white key』は50万枚と立て続けにリリースを重ね、徐々に人気とセールスが上昇。年末には数多くの新人賞を獲得。
1999年1月25日にワニブックスから写真集『amigo』を発売、徹夜組500人を含め5000人のファンが銀座福家書店に握手を求めて集まった。3月25日に発売されたファーストアルバム『SA』はオリコン集計で初のミリオンセラーとなり、約250万枚の大ヒットを記録。同年7月に発売された7thシングル『BE TOGETHER』は初の1位獲得・シングルでは自己最大の87万枚をセールス記録。続く9月発売の『OUR DAYS』でもオリコン週間ランキング1位を獲得。年末の第50回NHK紅白歌合戦に『BE TOGETHER』で初出場を果たした。また、同年1999年12月22日「HAPPY NEW MILLENNIUM」は共作ながらも本人による初作詞であり、作詞家としてもデビュー。当時、小室ファミリーが解体する中で小室哲哉プロデュースでヒットを連発した最後のアイドルであった。
2000年2月発売のアルバム『infinity eighteen vol.1』もミリオンセラーを記録。3月にライブツアーの合間を縫って高校を卒業した。夏に全国アリーナツアーを果たし、NHKのドラマ『ドラマDモード深く潜れ〜八犬伝2001〜』でテレビドラマに初主演するなど活動の幅を広げた。
2001年-2002年 : 活動休止
2000年2月、所属事務所が経営コンサルタントから脱税指南を受けていたことが発覚し、同年7月に社長らが法人税法違反容疑で逮捕される事件が起こった。これにより鈴木と事務所との関係に亀裂が入ってしまい民事訴訟に発展。その影響で、2004年まで活動休止状態になってしまう。
2004年-2005年 : インディーズ時代
2004年4月22日、文藝春秋から新曲シングルと写真集『強いキズナ』をセットで発売。出このシングル・写真集は、トーハンの2004年4月27日付ベストセラーランキング・単行本ノンフィクション部門で1位になり、最終的に15万部以上を売り上げた。5月11日にHMV渋谷店でインストアライブを開催し、3年1ヶ月ぶりに歌手として公の場に姿を見せることになった。
8月11日にシングル『FOREVER LOVE』をインディーズレーベル「AMITY」から発売。HMV渋谷にて再びインストアライブを敢行。神宮外苑花火大会よりライブ活動を再開する。その後、学園祭ツアーの全国巡回、12月4日から出身地の神奈川県座間市よりライブツアー『AMI's LOVE FOR YOU-LIVE』を行う。11月17日に神宮外苑花火大会のライブ映像を収めた「2004 SUMMER FLY HIGH -ami shower-」をAMITYから発売。また、12月30日に新宿厚生年金会館でのライブツアー最終公演にて、翌年1月からエイベックスに移籍して活動することを発表した。
2005年-2016年 : エイベックス時代
2005年1月にエイベックスに移籍し、2月に移籍第一弾楽曲『Hopeful』が配信限定で発売、そして3月には5年ぶりのメジャー復帰シングル『Delightful』をavex traxより発売し、オリコン初登場3位を記録。またシングルを3枚発売後、10月12日には実に5年半ぶりエイベックス移籍後初となるオリジナル・アルバム『AROUND THE WORLD』を発売し、オリコンチャート初登場5位を記録。同年には、日本のエイベックスアーティストツアーで行われたa-nationに初参加。年末には2000年以来となる5年ぶりに第56回NHK紅白歌合戦に返り咲き出場し、「Delightful」を披露した。
2021年-現在 : 激辛女王として人気再燃
2021年1月17日、激辛をテーマにしたYouTubeチャンネル『あみーゴTV』を開設。
人物
幼少時代は6畳二間の社宅で家族5人暮らしで非常に貧しい生活を強いられ、衣類などはほとんどが近所や祖母などからのお下がりでセーターは母親の手編みで何年も着られるよう大きめのサイズで作られていたものを着ていた。
デビュー前からglobeやTRF等のいわゆる小室ファミリーの楽曲に影響を受けており、度々それ等の楽曲を聴いていたと言う。なおファイナルオーディションでは合格者決定までプロデューサーが明かされない形であり決定後スタジオにて小室ということが発表された。その他、前述の小室ファミリーの楽曲以外では工藤静香や小林明子等も好んで聴いていた。
中学生時代はシャンプーやミー&マイ、スキャットマン・ジョンなど、当時流行していた洋楽の楽曲をよく聴いていたという。
小室は鈴木の事を「職人を煽るような面を持っていて、鈴木と組んだら新曲を作るスピードも自然と上がった」と評している。反面鈴木は多忙だった小室と殆ど接点を持てず、鈴木と小室がスタジオで共同作業したことは名前は明かされていないが、ある1曲をレコーディングする時だけだった。鈴木は「ブースに入って1小節を聞いて覚えて歌う。それの繰り返し。完成した曲を聴いたことはなかった」と振り返った。
趣味・特技は料理で、自身のブログに於いてレシピの画像がよく掲載されている他、2012年5月にはフードアナリスト3級を、2015年1月にはフードアナリスト2級の資格を取得している。本人自身、「将来は飲食店のプロデュースもやりたい」等と意思表明している。芸能界に於いてフードアナリスト2級の資格を取得しているのは鈴木が初となった。
激辛マニアであり、タバスコ24本入りを箱買いし、大量消費するような毎日を送っている。激辛好きの度合いとしては、病院送りになる客が現れるほどに辛いメニューを隠し味を楽しみながら軽々と食してしまう水準にある[29]。更に、Instagramでも激辛アミーゴ(@gekikaraamigo)というアカウントを開設し、大量の唐辛子が投入された料理の写真をアップし続けるなど、全く疑いようがないほど筋金入りであることを示している。
犬も猫も好きで双方の動物を数匹ずつ飼っており、いわゆる愛犬家であると同時に愛猫家でもあり、自身のブログに於いても公開される事がある。
宇多田ヒカル、深田恭子や篠原ともえ等と親交が深く、特に篠原とはテレビ番組で鈴木と共演して以来親交が深まっている。
両親は鈴木と同じ2月生まれである。母親は横浜市で「酒楽」という居酒屋を経営している。
兄と妹の3人兄妹。兄はエイベックスグループの社員としてプロモーションユニットのユニット責任者などを歴任し現在は同じユニットの課長職として勤務する鈴木大輔。
愛称である「アミーゴ」の名付け親は小学3年生の時の担任の先生。
小学生の時は習い事として算盤や少林寺拳法をしており、中高生の時には陸上部に所属していた。
結婚相手との出会いはシンガポール旅行をしていた際にバーでナンパされたことがきっかけで交際に発展し、結婚に至った。相手は芸能界に興味はなく、鈴木の存在すら知らない状態であった。
関連タグ
ミーア:鈴木がCMソングを歌った『モンスターファーム2』に登場する女性型モンスターで、彼女自身がモデルとなっている。