略歴
1992年4月に火曜21時台で始まった『浅草橋ヤング洋品店』を前身としており、1995年10月に、旧番組名の略称だった浅ヤンをローマ字表記の『ASAYAN』に変えて正式採用。
『浅草橋ヤング洋品店』としての番組開始当初は「ヤング洋品店」の名の通りに若者向けファッション情報番組だったが、開始から半年で日曜21時へ引越したのを機に、初期の総合演出を務めていたテリー伊藤が同時期に日本テレビで手掛けていた『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』にも似たコンセプトから、無名芸人や素人の一芸を活かしたバラエティ路線へ変更。
番組開始初期にはビートたけしが弟子である司会進行役の浅草キッドと総合演出のテリー伊藤つながりで一度だけ出演した事があった。
周富徳と周富輝の兄弟や金萬福といったユニークなキャラクター性を売りにした中華料理人達や、江頭2:50や宮路年雄といった放送コードギリギリの危険な人材を数多く起用するようになった。
以来、彼らは民放のバラエティ番組への露出が増えていった。
そして1995年10月の番組リニューアルで、60分番組の前半30分はバラエティ路線の『浅ヤン』を継承し、後半30分で小室哲哉が立ち上げに関わったオーディション企画『コムロギャルソン』を開始。
やがて小室哲哉が多忙でレギュラー出演できなくなり、小室から「僕の影武者」だとして紹介された弟子の久保こーじが参加。
後にシャ乱Qのボーカリストだったつんく♂も音楽プロデューサーとして参加し、オーディションを突破した人物のその後も逐一追いかけていく、ドキュメンタリー要素も含めた見せ方で人気を集め、1996年4月から2002年3月の番組終了までは60分間まるまる公開オーディションを行う番組へと変わった。
コーナーの主旨を説明するテロップが句点で〆られるのも、大きな特徴のひとつ。
小室の関与が強い番組ではあるが、オーディションは歌手だけにとどまらず、ラモス瑠偉が立ち会ったJリーガーオーディションや、最初期の流れを汲むファッションモデル、デザイナーのオーディション、三井不動産協賛によるリハウスガールオーディションなども行われた。
ASAYAN出身のタレントたち
dos
1990年頃からタレント活動を行っていた西野妙子を中心に、吉田麻美とKABA.ちゃんとの3人で構成されたユニット。
1996年3月に小室哲哉のプロデュースを受けてデビューし、同年末にアルバムを1枚リリースした後は自然消滅した。
天方直実
dos編成の際には落選したが、その後番組で再チャレンジの機会を経て、小室の右腕として活躍した久保こーじプロデュースの下で1996年5月にデビュー。
岡山一成
「Jリーガーオーディション」に参加していたが、旧横浜マリノスで練習生として入団が決まったため辞退。
池脇千鶴
前述の「三井のリハウスガールオーディション」で優勝を飾り、1997年にCMデビュー。
yuri
エイベックス創業者の1人である松浦勝人が主催した乱発オーディションに参加して落選するが、声質を気に入った木村貴志が採用を決めて1997年10月にデビュー。
モーニング娘。
シャ乱Q監修の「女性ロックボーカリストオーディション」が結成の起点。
オーディションで優勝した平家みちよは、シャ乱Qのギタリスト・はたけのプロデュースにより1997年11月にデビューするが、最終選考で落選した中から、ボーカルのつんく♂がこのまま帰すには惜しいと感じた5人を呼び寄せ、インディーズで制作したCDシングル5万枚を延べ5日のうちに自力で売り切ったらメジャーデビューさせると約束。名古屋市で完売を達成させ、1998年1月につんく♂プロデュースでメジャーデビューを飾る。ただし、ASAYANがメンバー追加募集に関わったのは、2000年デビューの4期まで。
太陽とシスコムーン
つんく♂がモーニング娘。を送り出した後、芸能活動歴のある女性に限定した新ユニットの構想を明かしてオーディション開始。最終的に4人組となり、1999年4月に“モーニング娘。のメジャーデビューシングル「モーニングコーヒー」がオリコン週間ランキングで記録した初登場6位を超えなければ即解散”という条件付でデビュー。
週間初登場4位を記録してグループ存続が決まり、ハロー!プロジェクトへの発展も呼び込むこととなる。
鈴木亜美
シャ乱Qと並行するように行われていたオーディションの最終電話投票にて、総計300万を超える投票中80万余票を得て優勝。
その後、プロデューサーに小室哲哉が就くことが明かされ、1998年7月に鈴木あみ表記でSonyMusicよりデビュー。
番組内ではモーニング娘。のライバル格として扱われ、1999年7月には両者のシングル発売日を同じ日に設定して売上対決も企画された(結果は鈴木が勝利)。
CHEMISTRY
1999年夏に始まった「男子ボーカリストオーディション」で結成。最終選考に残った6人から、デュオ形態で発売した仮デビューシングルの売行きや、2人の声の相性などを総合的に考慮されて組合わせが決まった。
なお、この最終選考に残った6人のうち、佐藤篤志は2001年から、ネスミス竜太カリムは2009年から、EXILEに参加している。(一方でネスミスは2007年から二代目J SOUL BROTHERS=後のEXILE THE SECONDでボーカルを担当)
浦田直也
CHEMISTRYのオーディションに落選後、2001年にASAYANで行われた浜崎あゆみのバックダンサーオーディションで合格した。
route0
2002年3月で番組が終了したため、最後に送り出した歌手となった女性デュオ。
2001年12月に始まった「日韓ウルトラアイドルデュオオーディション」を経て、河村隆一のプロデュースを受けて2002年4月にデビュー。(ただし河村は楽曲提供をしていない)
このデュオで韓国代表に選ばれたチェ・スヨンは、後に少女時代の一員として活躍する。
関連タグ
ナインティナイン - オーディションコーナーの司会。モーニング娘。に「。」を付けるきっかけを作った人物でもある。
エイベックス - 番組スポンサーであり、オーディションで選ばれた歌手の所属レーベルはだいたいエイベックスか、(小室哲哉が最初に所属した)ソニーの系列だった。