久保こーじ
くぼこーじ
作曲家と音楽プロデューサーの『久保こーじ』としての英語表記は『Cozy Kubo』と『COZY』の二つがあり、作曲と編曲の際のクレジットはどちらかの英語表記を使い分けている。
17歳(高校3年生時)の時にアルバイトで音楽スタジオの裏方であるローディの仕事を始める。
1983年、18歳の時に村田和人のバックバンドで演奏をしていた小室哲哉が、『渋谷LIVE INN』の楽屋で「今度バンド(TM NETWORKのこと)やるんだけど、手伝ってよ」とローディをしていた久保に声をかけたのが切っ掛けで、以後は小室の音楽活動でのアシスタントを務めることになった。
小室と共にスタジオワークと流行の最新音楽の情報収集等を行うようになり、小室に引きずられる形で徐々に段階を踏んで、いつしか久保は音楽プロデューサーが担当する様な作業にも手を付ける程になっていた。
小室との関係は、久保が「僕は小室先生の一番弟子」だと自らの“誇り”とする程であり、やがて久保は小室と「師弟関係」から「音楽制作に欠かせない重要なパートナー」だと言える関係にまでなっていく。
「小室ファミリーの曲は本当に小室さんと僕の共同作業で作っている」「小室さんのスタジオワークの進化の過程は日本の電子楽器が発展して行った歴史そのもの」だと久保が語るように、小室にとって彼は無くてはならない右腕であり、有能なブレーンとも言える存在なのである。
その存在感は、小室哲哉がバラエティ番組の『ASAYAN』の中で「久保くんは僕の影武者でありピンチヒッター」「久保くんは僕よりも僕の曲の特徴を良く知っている、下手したら僕よりも小室哲哉らしい曲を作れる、そんな唯一無二の存在の人」だと公言した程である。
TM NETWORKが1985年にリリースした2ndアルバム『CHILDHOOD'S END』にシーケンサーのプログラマーとしてレコーディングに初参加。
その後も主にTM NETWORKのライブで裏方としてマニピュレーターやサポートキーボーディストとして活動。
音楽をやり始めた当初は主にエレキギターとベースを弾いており、キーボードは未経験であったため、プログラミングなどは小室と出会って以降に基礎から学んだ。
それ故に、主にライブ会場のシンセサイザーやキーボード関係の制御用機材のセッティングとトラブルシューティングを行っていた。
1988年~1990年頃まではTM NETWORKの他、ブレイク前のB'zのローディも兼任で務めていた。
1989年9月より、小室と共に「作曲:小室哲哉╱編曲:COZY」のクレジットで宮沢りえや中山忍への楽曲提供でアレンジ及びプロデュース活動を開始。
以降、多くの小室が作曲した作品の編曲を担当するようになる。
1991年発売のTMNのアルバム『EXPO』においては、数曲を小室と共同で編曲を行っており、1992年の小室のソロアルバム『Hit Factory』では、小室とシンクラビアオペレーターの日向大介と3人で『T.C.D Hits』というユニットを結成し、久保は曲のアレンジとシンセサイザーの演奏を担当した。
1994年5月18日と5月19日に行われたTMNの東京ドームでの「終了ライブ」において、この以前の1992年のライブまでTMNのサポートメンバーとしてシンセベースを担当していた浅倉大介に代わり、裏方として久保がステージ裏でシンセベースを演奏していた。
20代前半の頃に自身のバンド『13's Paradise』を結成し、その後バンド名変更とメンバーチェンジを行う。
1992年3月には自身のソロ・アルバムとなる『COZY』をリリースし、ソロアーティストとしてデビュー。
同年春、伊集院光とともに『ARAKAWA RAP BROTHERS(荒川ラップブラザーズ)』を結成し、シングルとミニアルバムをそれぞれ1枚ずつリリースしている。
同年10月からは『オールナイトニッポン』のラジオパーソナリティを務め、その縁でニッポン放送のディレクターだった女性と結婚し、2児を授かる。
1993年、自身を含めた当時のオールナイトニッポンの全パーソナリティ参加による番組の『STOP! AIDS』のキャンペーンソング『今、僕たちにできる事』の編曲を担当。
1994年には先の『13's Paradise』の後継バンド『No! Galers』を結成し、アルバム2枚・シングル7枚を発表。
『No! Galers』は久保が率いるバンドとしてだけでなく、当時の『小室ファミリー』のレコーディングのバックバンドも兼ねていた。
ちなみにバンド名の由来は、小室が「自分の事務所にノーギャラでいつでもレコーディングに対応してくれる腕を持つハイクオリティなバンドがいるんだから、タダならとにかく使わなくちゃ損」だと冗談で言った所からきている。
しかし、あくまでも冗談であり、実際に小室が彼らをタダ働きさせていた筈もなく、レコーディング作業の報酬に充分見合うだけの現金や楽器、果てはメンバー移動用の自動車等をギャランティとしてきちんと支給していた。
ちなみに、『No! Galers』のギタリストだった木村建は1999年に再始動後のTM NETWORKの曲のレコーディングで何度かギターを演奏している。
過去に小室がプロデュースした『H Jungle with t』の『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント~』といった有名楽曲の制作には必ずと言っていい程に参加しており、久保は小室の右腕、または影武者として、小室がプロデュースした楽曲では小室と共作名義で作曲と編曲をした作品が多数ある他、所謂『小室ファミリー』であるTRF、鈴木あみ、安室奈美恵、hitomi、篠原涼子らの一部の楽曲では小室抜きで作曲と編曲を久保が単独で担当していた。
特に、安室奈美恵が1997年の年末から産休に入る直前にリリースしたシングル『Dreaming I was dreaming』では久保が主導となって単独で作曲と編曲を担当し、レコーディングで小室はピアノ演奏のみの参加となる等、楽曲制作におけるスタンスの比重が逆転したこともあった。
また、これと並行して天方直実、木村佳乃、知念里奈らの楽曲のプロデュース、そして作曲と編曲も久保が単独で行っている。
小室が司会を務めた『TK MUSIC CLAMP』(フジテレビ系列)にもレギュラー出演。
『ASAYAN』(テレビ東京系列)にも、小室がメインの名物コーナー『コムロギャルソン』に多忙で出演できない小室から「僕の影武者」だとして番組内で紹介され、ピンチヒッターとして出演。
小室とのユニット『tk-trap』としても、1996年に幕張メッセで開催された『ORACLE OPEN WORLD』内でライブを行い、TM NETWORKの『CAROL組曲』や小室の『天と地と』などをカバーした。
その後小室が設立した『ROJAM ENTERTAINMENT』に所属の音楽プロデューサーとしてゲームソフト向けの音楽などを手掛けた後、2000年頃から小室とは袂を分け、独自の音楽プロデュース活動を始めている。
2008年に小室が詐欺容疑で逮捕され、音楽活動の停止から復帰した後の2011年6月頃から再び小室と合流し、AAAなどで共同のアレンジ作業が復活した。
2022年5月30日、音楽レーベル『mirror』をWALLOPと共同で主催している。
現在はファンコミュニティアプリの『ファニコン』で展開している小室哲哉のファンクラブで、有料会員向けコンテンツの配信番組『TK FRIDAY』での司会進行を担当している。
天方直実
発売日 | タイトル | 担当 | 最高位 |
---|---|---|---|
1996年5月15日 | 逢いたい君がいない | 作曲・編曲 | 27位 |
1996年8月21日 | can'T | 作曲・編曲 | 34位 |
1996年11月21日 | STEP UP・1997 | 作曲・編曲 | 73位 |
1996年12月25日 | …tears | 作曲・編曲 | 40位 |
1997年5月14日 | ZUTTO ZUuTTO | 作曲・編曲 | 36位 |
1997年9月10日 | power | 作曲・編曲 | 63位 |
1997年12月25日 | ユメ | 作曲・編曲 | 圏外 |
1998年6月24日 | With Your Love | 編曲 | 58位 |
1998年9月17日 | ヤんなっちゃうね | 作曲・編曲 | 圏外 |
1999年9月8日 | be alright | 作曲・編曲 | 圏外 |
篠原涼子
発売日 | タイトル | 担当 | 最高位 |
---|---|---|---|
1995年2月8日 | もっと もっと… | 編曲 | 3位 |
鈴木あみ
発売日 | タイトル | 担当 | 最高位 |
---|---|---|---|
1998年12月16日 | white key | 作曲・編曲 | 2位 |
1999年2月17日 | Nothing Without You | 編曲 | 3位 |
1999年3月17日 | Don't leave me behind | 編曲 | 3位 |
1999年12月22日 | HAPPY NEW MILLENNIUM | 編曲 | 2位 |
知念里奈
発売日 | タイトル | 担当 | 最高位 |
---|---|---|---|
1996年10月21日 | DO-DO FOR ME | 作曲・編曲 | 37位 |
1997年3月31日 | precious・delicious | 作曲・編曲 | 18位 |
hitomi
発売日 | タイトル | 担当 | 最高位 |
---|---|---|---|
1994年11月25日 | Let's Play Winter | 編曲 | 圏外 |
1995年2月24日 | WE ARE "LONELY GIRL" | 編曲 | 61位 |
1995年4月21日 | CANDY GIRL | 編曲 | 15位 |
1995年7月28日 | GO TO THE TOP | 編曲 | 19位 |
1997年4月9日 | BUSY NOW | 作曲・編曲 | 4位 |
1997年10月1日 | PRETTY EYES | 編曲 | 5位 |
1998年4月22日 | 空 | 編曲 | 19位 |
観月ありさ
発売日 | タイトル | 担当 | 最高位 |
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1992年5月27日 | TOO SHY SHY BOY! | 編曲 | 4位 |
1994年10月3日 | happy wake up! | 編曲 | 3位 |
1995年2月13日 | あなたの世代へくちづけを | 編曲 | 9位 |