概要
日本の小説家。川端康成に次ぐ日本人史上2人目のノーベル賞文学賞受賞者。
その政治的立場や独特の難解な文体などから好みが分かれやすい作家でもあった。
略歴
1935年1月31日、愛媛県大瀬村(今の内子町で、古くから木蝋で栄えた)に誕生。
東京大学文学部卒。在学中に執筆し東京大学新聞に掲載された『奇妙な仕事』が批評家平野謙に絶賛され、文壇デビューを飾る。同作を下敷きにした『死者の奢り』が芥川賞候補となり、世間の注目を浴びた。同年に『飼育』で芥川賞受賞。その後、伊丹十三の妹と結婚、長男と長女が生まれるが、長男は知的障害があった。
自身の第一子(作曲家の大江光)が出生前からの重い障害を持っていた上に難手術も経験しており、その苦難を通じて世界観や人生観が大きく変わったことを何度も私小説に採り上げたりしている。1994年、ノーベル文学賞を受賞した。
2023年3月3日、老衰で死去。88歳没。
ノーベル賞受賞理由
日本固有の民俗や風土を豊かな想像力で描いたことが受賞の最たる理由である。川端康成が抒情表現を評価されたのに対し、大江が評価されたのは豊富で緻密な歴史、文化、民俗の知識に裏付けされた叙事表現であり、失われつつあった古き日本を採り上げていたことが大きい。
ただ、大江は「戦後民主主義」の支持者であることを標榜し、原水爆廃絶運動に参加していたことで、日本では良くも悪くも政治的側面が強調されがちである。
評価
大江は『飼育』で芥川賞を当時史上最年少で受賞している(これは二度目の挑戦であり、デビュー作『死者の驕り』は開高健の『裸の王様』が受賞し、惜しくも受賞を逃した)ほか、谷崎潤一郎賞を史上最年少で受賞している(受賞作品が代表作『万延元年のフットボール』)など若い頃から文壇の寵児として知られている。また、野間文芸賞、読売文学賞なども受賞しており、川端康成や三島由紀夫などの文豪も彼の才能を高く評価していたことが知られている。
ただ、彼の書く文章はめったやたらとセンテンスが長く、句読点の入れ方が独特で、とても読みづらい。悪文を書く作家の代表格として名前が挙がることも多く、丸谷才一は大江の文体・作品を論理性の欠如も含めて厳しく評価している。なので、代表作と呼ばれる『万延元年のフットボール』や『同時代ゲーム』などの長編作品は、世界的な評価とは裏腹に、日本ではノーベル賞受賞まではそれほど広く読まれなかった。今でも多くの日本人が実際に読んだことがある大江作品と言えば『死者の驕り』『飼育』といった初期の短編だろう。
ノーベル文学賞を受賞してから売れ始めた長編が代表作『万延元年のフットボール』と『M/Tと森のフシギの物語』である。特に後者は発表当初は全く注目されなかったにもかかわらず、文庫版が出版されるほどになった。悪文に関しては「独特の中毒性がある」とも評される一方、「わざと難しく書いている」などと散々に酷評され、読者を遠ざける原因にもなっていたので改めようとはしていたらしく、同一コンセプトのまま内容を簡明にした作品も何度も作ったりしている。
代表作
近年は講談社文芸文庫が復刊に力を入れている。
- 万延元年のフットボール 史上最年少谷崎潤一郎賞受賞作にして代表作。ノーベル文学賞受賞の評価基準となった作品でもある。
- 同時代ゲーム 大江文学の難解さ、晦渋さを示しているともいわれている。本人曰くコンセプトを同じくして、それを簡明にしたのが『M/Tと森のフシギの物語』
- 洪水はわが魂に及び
- ピンチランナー調書
- 人生の親戚
- 取り替え子
- 芽むしり仔撃ち
- 新しい人よ目覚めよ
- 懐かしい年への手紙
- 雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち 読売文学賞受賞。
- 燃えあがる緑の木 発表中に受賞。またオウム事件を予言した作品として世間の注目を浴びた
- M/Tと森のフシギの物語 ノーベル賞受賞の評価基準となった作品。世界で大江文学といえば、まずこれが出てくるというほど
など多数。
関連人物
川端康成 日本人1人目のノーベル文学賞受賞者。大江を高く評価していた作家の一人。
三島由紀夫 大江を高く評価していた。大江は三島の自決事件に大きな衝撃を受けた。
安部公房 影響を受けた小説家の一人、プライベートの親交もあった。
伊丹十三 大江は伊丹の妹と結婚したため、義理の兄にあたる。
武満徹 音楽家。作曲家の息子が縁で親交があった