英語:CONSERVAIVE CONSERVAISM ラテン語: CONSERVARE
古くからの習慣・制度・考え方などを尊重し、急激な改革に反対すること。対義語は革新若しくは進歩主義。
概要
保守主義は伝統に倣い、これを墨守することを重要視する政治思想である。
伝統とは何かに関しては明確ではないため、保守を標榜する者同士でもしばしば対立が生じることになる。
フランス革命当時の保守主義は「今あるアンシャン・レジームとレッテル貼りされた諸制度は、遠い過去からの取捨選択に耐えてきたものであり、これを維持存続させることが国民の利益になる」(とする主義)と定義されていた。
「維持せんがために改革する」というディズレーリの言葉や「保守するための改革」というエドマンド・バークの言葉からも明らかなように、保守主義は漸進的な改革を否定しない。
保守主義は政治および社会の哲学の一つであり、この哲学は伝統的制度の維持を奨励し、社会の変化については最小で漸進的なものだけを支持する。保守主義者たちの中には、現在のものを維持しようとし安定性と連続性を強調する者(守旧派)たちがいる一方で、近代主義に反対し過去のものへ戻ろうとする者(反動派)たちもいる。概ね保守主義は右派ないし中道右派とみなされる。
現在確認されているところでは、フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンがフランス革命をうけて1819年にこの用語を用いたのが、政治的脈絡でのこの用語の使用の最初だとされている。それ以来、この用語は広範囲の見解を記述するのに用いられてきた。
アメリカの共和党、日本の自民党、イギリスの保守党、オーストラリア自由党、台湾の中国国民党、カナダ保守党、パキスタン・イスラム連盟、インド人民党が保守政党として挙げられる。
保守主義と一言で言っても、保守の意味が多様化した現代はその定義は様々である。20世紀においては共産主義との対立の中で、資本主義を擁護する者が保守主義者とみなされる傾向が強まる一方、保守主義側でも自由主義経済を擁護するために社会保障など社会主義的要素を取り入れる社会改革を行った。だが、サッチャーらをはじめとする新保守主義者が登場した1980年代以降は保守を標榜しながらラディカルな市場原理主義を指向する者が目立つようになり、「保守」を名乗る右派が一種の革新派として台頭しているパラドックスがある(一方、新保守主義に否定的な伝統的保守派もいる)。
政治的保守主義・近代保守主義
思想の歴史
政治思想としての保守主義は政治的保守主義ないしは近代保守主義と呼ばれイギリスのコモン・ローの法思想を中心として発展してきた。政治学はしばしば、今日「保守的」と呼ばれている考えの多くはアイルランド人の政治家エドマンド・バーク(彼はイギリスの下院議員を務め、フランス革命に反対した)に由来するとみなす。
17世紀に、イギリスのエドワード・コークは中世ゲルマン法を継承したコモン・ローの体系を理論化した。18世紀には、バークがコモン・ローの伝統を踏まえて著書『フランス革命についての省察』を公表し保守主義を大成した。この著書はフランス革命における恐怖政治に対する批判の書でもある。バークが英国下院で革命の脅威を説いた1790年5月6日が近代保守主義生誕の日とされる。このような経緯からバークは近代保守思想の祖と呼ばれている。
バークは「保守する」という言葉は用いたものの、「保守主義」という用語は使っていない。保守主義という言葉はシャトーブリアンが王政復古の機関紙を、Le Conservateurと名付けたことに由来する。
アメリカではコモン・ローの法思想がウィリアム・ブラックストンの『イギリス法釈義』を通じてそのままアメリカの保守主義としてアレクサンダー・ハミルトンら「建国の父」たち(ファウンディング・ファーザーズ)によって継承された。
そしてこの法思想はアメリカの憲法思想となった。
このように保守主義はもともと英米の政治思想であるがその影響を受けフランス、オランダ、スペイン、ドイツ、イスラエル、ロシア、日本、韓国、インドなどにも保守思想家が存在する。
イギリス
かつてトーリー主義と呼ばれていたイギリスの保守主義は王政復古時代(1660年–1688年)に生まれた。神授王権によって統治を行う君主をともなう階級社会をイギリス保守主義は支持した。立憲政府を確立した名誉革命 (1688年)は、トーリー主義の再公式化をもたらした。再公式化後のトーリー主義においては統治権は国王、上院、下院の三つの身分に与えられたと現在ではみなされている。
保守派の歴史家たちによると、リチャード・フッカーは保守主義の創始者でありハリファックス侯爵は彼のプラグマティズムが賞賛されるべきでありデイヴィッド・ヒュームは政治における合理主義を保守的に信用しなかったことが賞賛されるべきでありエドマンド・バークは初期の指導的な理論家とみなされる。
その歴史家たちは保守主義についての穏健で擁護可能な見解を著した著作家たちの選び方を批判されてきた。
例え、フッカーは保守主義が出現する前に生きていた人物であるハリファックスはどの政党にも属していなかったヒュームは政治に関与しなかったバークはホイッグ党員だったといった具合に。
19世紀には、保守主義者たちはバークがカトリック解放を擁護したことから彼を拒絶し代わりにブリングブローク(Bolingbroke)からインスピレーションを受けた。
フランス革命に対するトーリー党の反応について書いたジョン・リーヴズ(John Reeves)は顧みられなかった。
保守主義者たちはバークがアメリカ独立革命を支持したことに反対しもした。
例えばトーリー党員のサミュエル・ジョンソンは著書『暴政なき課税』(Taxation No Tyranny)の中でそれを非難した。
保守主義はイングランドの王政復古の過程で王政主義から発展した。王政主義者たちは絶対君主制を支持し、国王は神授王権によって統治しているのだと論じた。主権は人びと、議会の権威、信教の自由に由来するという考えに彼らは反対した。
ロバート・フィルマー(Robert Filmer)の著書『パトリアーチャないしは国王の自然権』(Patriarcha or the Natural Power of Kings)――本書はイングランド内戦以前に書かれた――は彼らの見解を述べたものとして受け入れられるようになった。
1688年の名誉革命を受けて、トーリー党員たちとして知られていた保守主義者たちは国王、上院、下院の三身分が主権を共有するということを受け入れた。トーリー主義はホイッグ党が優勢だった長い期間の間にすみへ追いやられるようになった。
1830年代に保守党と改名したこの政党は、不安に思いながらも協力し合った家父長的な貴族たちと自由市場における資本家たち両方の本拠地となったのちに、主要な政治勢力として復帰した。
思想の特徴
保守主義者たちは、基本的には人間の思考に期待しすぎず、「人は過ちを犯すし完全ではない」という前提に立ち、そして謙虚な振るまいをする。
さらに彼らは「先祖たちが試行錯誤しながら獲得してきた知恵、すなわち伝統が慣習の中に凝縮されている」と考え、伝統を尊重する。
また彼らは「伝統は祖先からの相続財産であるから、現在生きている国民は相続した伝統を大切に維持し子孫に相続させる義務がある」と考える。
その結果、彼らは過去・現在・未来の歴史的結びつきを重視する。このように保守主義は懐古趣味とは異なる未来志向の要素も含んでいる。
彼らは「未来を着実に進むためには、歴史から学ばなければならない」と考える、これは歴史とは先人たちが試行錯誤してきた失敗の積み重ねの宝庫だからだとされる。
西ヨーロッパの貴族出身の保守派の多くは自らを騎士道精神の継承者と自負しているので、共産主義、ファシズム、そして国粋主義などの思想に対して祖先から相続した郷土を踏みにじるものとして反発する。
保守主義は基本的に過去と現在との歴史的結びつきを重視する。
ただし伝統の定義が明晰ではないためいつどの伝統を保守すべきと主張するかによって立場が異なってくる。
保守主義者達は理性を懐疑する。
彼らがフランス革命で理性主義を掲げたジャコバン派が議会を暴走させ、道徳を退廃させ、そして自由を軽視させる過ちを犯したと看做している事がそのように懐疑される理由の一つである。
同様の事態はロシア革命など多くの革命にも見られる。
こうして保守主義者たちは伝統保守や漸進的変革をとなえ、左翼革命を否定的に見る。
日本・ドイツ・イタリアなどの旧枢軸国やスペインなどの後進資本主義国では外圧によって伝統的な暮らしや文化などが失われた。
そのためにかえって、それらの国では国家への帰依(国粋主義)を求める声が強く起こり、20世紀前半のファシズム・全体主義の台頭につながった。
戦時中は右翼内部においても大川周明など国体を強化するための国家革新を唱えた「革新右翼」の動きがあり、そのことが日本において革新およびこれと対をなす保守の概念を混乱させる一因となっている。
英仏の貴族や特権階級などを中心とする保守主義は、国粋主義を否定する。
一方でアメリカにおいては家族を基本的な価値として尊重し、政府は家族や私有財産を脅かす存在として警戒の対象になる反連邦主義の伝統がある。
ロナルド・レーガンが所得税を減税しジョージ・H・W・ブッシュが遺産税の廃止を推進したのは、こうしたアメリカの保守思想に基づいてのことである。
それゆえアメリカの保守は国家主義的な日本・フランス・ドイツ・イタリアなどの保守とは対極的な面がある。
日本やイギリスの保守派は軍事・外交・教育・治安維持では国家の役割を強調するもの、経済政策や社会政策においては小さな政府を唱える傾向も強く、特に家族の価値を唱え、育児や介護の社会化には慎重、もしくは積極的に反対する。
この面では欧州大陸諸国よりもリバタリアニズム的で、アメリカの保守との共通点が見られる。
保守主義は、伝統との親和性が高い農業などの第一次産業にたずさわる人たちが多く住む農村部や、都市部の自営業者、キリスト教・イスラム教・仏教や民族宗教(ヒンドゥー教、神道、ユダヤ教)などの宗教組織を支持母体とすることが多い。
また、資本主義化した社会では大企業経営者・資本家、中小企業経営者も既得権益を持つものとして保守主義を支持する傾向がある。
イラン革命後のイランのようなイスラム法社会では、保守主義とはウラマーなどの宗教的指導者による政治を支持する立場のことを指す。
日本における保守政治
日本では戦後政治的イデオロギーに関してはアメリカ式近代自由主義(Modern liberalism in the United States)を標榜しながらも実際の政策では護送船団方式傾向が強い自由民主党(自民党)が政治をほぼ独占してきた。
小泉内閣以後の自民党では新自由主義経済の親米保守・新保守主義が主流となった。
他方でアメリカの保守主義は基本的に個人主義(国民主権)的自由民主主義を基調とする。
日本の代表的な保守政党である自民党は、太平洋戦争後の左右社会党の統一(社会党再統一)に危機感を持った保守政党同士の連合体である(自由党と日本民主党の保守合同により誕生)。
保守政党としては、自民党のほかに国民新党、たちあがれ日本、大阪維新の会、日本創新党がある。郵政民営化に反対した自民党議員たちが自民党を離党して国民新党を結成した。
民主党は自民党旧経世会の議員が多数参加しているため保守傾向も強いと言われているが、旧社会党系の流れを汲む議員も多数参加しており、党としては保守でも革新でもない。
2010年4月に自民党出身の平沼赳夫、与謝野馨を代表として結党した「たちあがれ日本」は、日本における外国人参政権や夫婦別姓をはじめ“国民生活の根幹をおかしくする政策”に反対し、“日本の良き伝統文化を守る安心社会の構築”を党是として、また復古的改憲論を掲げている。
宗教的保守主義
アメリカ
宗教的保守主義という言葉がとくに頻繁に使用されるのはアメリカ合衆国である。
宗教右派(キリスト教右派)の台頭にともなってキリスト教原理主義などプロテスタントの神学の内の聖書主義的な意味での保守主義、つまり聖書の記述をそのまま遵守しようとする潮流が保守主義と呼ばれる。この意味での保守主義者たちは、聖書に基づいて、「人々はキリストの十字架による身代わりの贖罪によって救われる」という教理を強調する。
この立場から、彼らは福音派(エヴァンジェリカル)、あるいは伝道派と自称しており、またそのように呼ばれることもある。
アメリカ南部バプティスト派などがこの保守主義の最大勢力である。
福音派は南部の所得・教育水準の低い白人層(レッドネック等)からは一定の支持を得ることができているが、それ以外の地域では、特に東部の高学歴・高所得層からはカルト扱いされており支持されていない。
また伝統的なプロテスタント諸派においても上記南部バプティスト派以外では福音派の立場をとる派は少ない。
西方教会における自由主義神学と福音主義
自由主義神学の立場は、一つに、道はちがえども全ての宗教は人々を救いに至らしめるものであるという考え方に近く、二つに、思想的哲学的潮流に影響されやすく、そして三つに、神学的に聖書を尊重しない傾向がある。この立場は福音派には受け入れがたい。
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同派はそのような立場を潔しとしないキリスト教徒の集まりである。
一方、反福音派(反エバンジェリカルズ)である伝統的プロテスタント諸派は福音派を聖書の文言にのみ拘泥しその趣旨を歪曲していると批判している。
神学的に保守主義であるからといって、政治的にも保守派でありタカ派であるとは限らない。
核兵器使用賛成・反共・国粋主義に偏りがちなファンダメンタリストから一線を画し、核兵器使用と戦争に反対の立場をとっている保守派のキリスト教徒も多い。
彼らは、キリストが十字架の死をもって伝えたかったことは何かということと、聖書の伝えたかった使信とは何かということにかんする追求に基づいて「キリストの十字架のメッセージは、神と人との和解あるいは人と人との和解であり、平和主義である」との考えを持っていることからそのような立場をとっている。
だがそんな彼らも中絶には反対する。
カトリック教会の保守派
カトリックの保守派はプロテスタントの上記保守派とは神学的に正反対であり相容れないが、中絶には反対する。
東方教会(正教会・東方諸教会)
上述の自由主義神学と福音主義の対比は、西方教会、そのうち主にプロテスタントに当てはまる分類であり、宗教改革や自由主義神学の興隆の歴史を有さない東方教会(正教会・東方諸教会)においてはこのような分類に当てはまる潮流が歴史上存在しておらず、神学的見解・奉神礼形式・社会問題に対する態度における「保守的」「革新的」の語も、西方教会とは異なった意味で用いられる。
神学、および教会と社会の関係を考察する領域において西欧・西方教会における論理の枠組みの段階から根本的に疑問の対象とし、ここから距離を取ろうとする聖職者、神学者、哲学者が正教会には多く生み出されている。
神学的に保守的であるからといって政治的に保守的・タカ派的であるとは限らないのは西方教会でも同様であるがアメリカのファンダメンタリストなどのように神学的見解と政治的姿勢が結び付いているような例は東方教会では殆ど皆無である。