世界的観点から見た共産党
共産主義の中でも、レーニン主義を掲げる政党の系譜に連なる政党である。ロシア社会民主労働党のレーニン派(ボリシェヴィキ)が独立し、1918年のロシア革命後にロシア共産党(後のソ連共産党)を名乗ったのが最初。
その国の一党独裁の執権党から、連立政権の中の一つの党や、万年野党(日本共産党がこれに該当)な党、国会議員を出したこともない市民団体同然の党までそれぞれで、各国で必ずしも主義主張が一致するわけではない。もともと、各国共産党はモスクワに本拠を置くコミンテルンの支部という扱いであったが、1943年のコミンテルン解散後は各国バラバラとなり、特に1960年代の中ソ論争後は各国共産党が激しく対立する場面も多くなった。
現在でも中国や北朝鮮(名称は朝鮮労働党で知られる)、ベトナム、キューバでは共産党による一党独裁政権となっており、ソ連崩壊、冷戦終結で共産主義が滅亡したわけではない。ただし、中国共産党などは事実上資本主義導入の旗振り役と化しており、政権を担う党の名称が「共産党」というだけの存在に近い。朝鮮労働党に至っては朝鮮人民軍の指導を受ける存在となっており、既に共産主義政党とは名ばかりになっている。
西側陣営の国ではフランスの共産党が著名で一時は閣僚を送り込んでいる。イタリア・スペインなどの共産党はソ連と距離を置き民主主義擁護を積極的に打ち出したことで勢力を伸ばし、一時は連立政権に参加したが、後に社会民主主義政党に衣替えした。アメリカ合衆国にも存在し、黒人の権利擁護運動に大きな役割を果たした歴史があるが、国会に議席は持たない。
イメージカラーは「赤」であり(共産主義者に対する蔑称として「アカ」が使われるのはこの為)、pixivでは政治家に関する絵の背景が赤一色だと、共産党関係の人物と見てよい(ただし、赤は同根のイデオロギーである社会民主主義を指すこともある)。党の代表者は概ね委員長もしくは書記長となっている。
日本共産党について
1922年に結成された、現在まで名称の変わらない政党としては最古の存在である。戦後は一貫して国会に議席を持つが、政権に加わったことは無い。現在の党代表(委員長)は志位和夫。
戦後直後は急激に勢力を伸ばすが、ソ連共産党の介入を受けて党は分裂、親ソ派が各地で暴動を起こし、一時は消滅寸前にまで衰退した。1960年代以降宮本顕治が実権を握るとソ連及び中国共産党への批判を強め、自主独立路線を確立、自由と民主主義を擁護する姿勢を明確にした。そのため1970年代には大いに勢力を伸ばし、ソ連崩壊後も一定の勢力を維持した。
政策は総じて反財界(大企業)・反米的な色彩が強く、アメリカ合衆国や財界との関係を重視してきた保守政党及び中央官僚を強く批判する。天皇制に反対し自衛隊廃止を唱えているイメージが強いが、憲法に基づいて国民が判断すべき課題だとし、以前のように強硬には唱えていない(どちらも国民の理解をえての段階的廃止的論調となっている)。なお天皇制は共産主義のイデオロギーからは完全に矛盾するからであるが、反自衛隊は共産主義から導き出されるイデオロギーではない。日本の戦後左翼に共通する平和主義のためである(日本共産党は日本国憲法制定当時は憲法第九条に否定的であった。また、当たり前だが共産主義=非軍事ではない。日本共産党に考え方が近かったイタリアなどの共産党も軍事同盟を否定していなかった)。
同じ左派社会主義の政党である旧社会党(現・社民党)とは部落問題や反核運動への態度などをめぐって長年の対立関係であり、また公明党、創価学会との対立関係はそれ以上に根が深いものがある。個別の課題では自民党や社民党と共闘することはあっても、公明党と手を組むことはまず無い。
2世3世の活動家・党員が多く、また党の上層部には東京大学卒など意外と高学歴が多く
党内の格差社会を体現している。
また内輪の裏切り者とみなした者には対応が厳しく、2世党員であった有田芳生は
かつて党の出版社に勤務してた際上層部の意に添わない内容の本を出版したとして追放されている。